松本の蔵シック館で、地域政党「新しい信濃の国」の主催による「市民の側に立つ政治」をテーマにフォーラムが開催されました。
松本市長選に立候補を予定している市川ひろみさんと、元衆議院議員の川田悦子さんのお話がありました。
川田悦子さんは、参議院議員・川田龍平さんのお母さん。
龍平さんがHIVに感染し、国の責任を追及して裁判を闘ったこと。
裁判では、国が責任を認め、謝罪することにこだわったこと。
「行政は、間違いがあることを前提で仕事をするべき」
「そして、間違いがあったときにはそれを認め、すぐに対応が出来るような行政でなければならない」と言う内容のお話で、とっても共感できました。

また、市川ひろみさんは、前松本市の収入役。
収入役といえば、いわば自治体の金庫番。
公正を保つため、執行部から独立した会計機関と位置付けられています。
市川さんは収入役として、納得がいかずに判を押せないことが何度かあったそうです。
「一つ一つ、疑問が残り、納得できなければ判は押せなかった。」
でも、その事が、市川さんを苦しい立場に追い詰めてしまう結果にもなったようです。
市長からは、市民との協同を進めることの特命を受け、自分としてもぜひ取り組みたいことだった。
しかし、収入役を退任する最後まで、ついに市長とは会ってその話をする機会は作ってもらえなかったそうです。
市川さんの話を伺っていて、常に私が感じているような、住民としての素朴な疑問をたくさん感じられていたんだろうと思いました。
行政の中に入ってなお、その気持ちを持ち続け貫くのは、さぞかし大変だったろうと推測できます。
「職員は、失敗しないようにそればかりに気をとられて、冒険が出来ない」
「首長は『失敗したら支えるよ』と言うようでなければならない」
聞いていて、「そのとおりです!」と拍手を送りたくなりました。
無党派・市民派の市民の立場に立って考え、そして行動の出来る人だと感じました。
こんな人が市長になったら、変わるでしょうね・・・
松本を「日本の環境都市」にしたいと言う、市川さんの熱い思いが松本市民に伝わりますように・・・
松本市民の判断に期待したい!!
7月29日投票の参議院選挙で東京選挙区から無所属で出馬していた川田龍平君が、見事当選しました。
無所属で政党の支援を受けない候補が東京選挙区で当選を果たしたのは、1965年婦人運動で主導的役割を果たした市川房枝さん以来だそうです。
本当によかった!!!
「龍平君が当選できないようでは、日本も終わりだ」と、選挙中にある番組でコメンテーターが言っていたとも聞きましたが、今回は東京都民に本当に感謝!
龍平君の街頭演説は人々の心に響いたようです。
「感動を呼ぶ話題の演説」サンスポの記事です! ↓
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200707/sha2007072204.html
29日の投票日、川田家の引越しのお手伝いに東京に行っていました。
でも、「せっかく東京まで来たのだから・・・」龍平君の着替えを届ける大義名分もあり、夜四谷の事務所へ出かけることになりました。
8時ごろに事務所に着くと、すでに報道の車が何台も止まっていて、それを見たときに「当選かもしれない!?」と期待が膨れ上がりました。
四谷の事務所は、ビルの4階と5階が借りられていましたが、5階では、龍平君がすでに報道陣の人の山のはるか向こうで一人机に座っていました。
4階の事務所でほかの支持者の皆さんとテレビで開票を見ていましたが、開票が始まるとかなり早い段階でNHKが当確を出しました。
前に座っていた人たちが突然ものすごい勢いで歓声を上げたのですが、私はお母さんの悦子さんと後ろのほうに座っていたので、当確のテロップが見えず、しばらく何が起こったのか分りませんでした。
こんな歴史的にも残るような、そんな場面に関われ存在できて、本当に幸せでした。
まったくの正真正銘の無所属。
組織もなく、15人足らずのスタッフで、後は本当に日本中のボランティアの力。
良くぞ、東京選挙区で勝ったものです。
龍平君の演説を聞いた人が、応援ボランティアに参加してくれるなどしてどんどんボランティアも増えて行ったそうです。
若い人の参加が多かったことも、ほんとうすばらしいことです。
国を変えるなんてできない、とあきらめてしまいがちなのですが、龍平君のいうように「動けば変わる!」
そう信じられる結果でした。
すごいことを成し遂げたものだと、時間が経つにつれ、その重みを感じます。
日本中の注目を集め、日本中からの期待を背負って、これからが本当に大変だと思います。
それにしても、当選直後からの報道・インタビューを見ていても、とても31歳の初当選とは思えない。
お母さんの悦子さんが衆議院で苦労していたのを間近かで見ていて、その体験がすでに彼の実績として重なっているようです。
堂々として、それでいて誠実さが滲み出ていて、本当にこんなにいい顔は見たことがありません。
明日3日には、薬害肝炎の要請行動、厚生労働省前で国会議員としての第一声だそうです。
いろいろな人と出会い、経験をつんで成長していくだろう龍平君に期待がかかりますね。
龍平君の当選、そして比例代表では田中前長野県知事も当選を果たしました。
加えて、お隣の原村の村長選では前村長の続投も決まり・・・なんだか大きな風が吹いているかな・・・ ^^
14、15、16日と川田龍平君の応援に行ってきました。
日本全国から、ボランティアが応援に駆けつけていて、12日のポスター貼りにも1000人の応援があったそうです。
いい選挙です。
全国から県議さんやら市町村議員さんたちも応援に駆けつけていました。
14日、13日は台風接近で雨。
それでも龍平君は雨がっぱで雨に濡れながら街頭演説をしていました。
長丁場なので、とにかく体調を整えて最後まで元気に明るく戦って欲しいです。
私は事務所で、地道な電話かけ作業をしていました。
私自身、電話がかかってきたら、むしろ「迷惑」と腹が立つほうなので、自分の選挙では電話かけをしません。
でも、龍平君のためなら、何でもやります!!
電話かけをしてみて、「まだ、誰に投票するか決めていない」と言う人の多いのにびっくり。
そんな人には、龍平君の説明をしてご支援をお願いしました。
「12年前に薬害エイズの裁判で、当時19歳だった青年が名前も顔も出して、国を相手に勝てないと言われていた裁判の代表の一人として戦いました。そして画期的な和解に持ち込み、当時厚生大臣だった管直人さんが謝った裁判にご記憶はありませんか?あの青年が川田龍平です。」
常に命と向き合って生きてきた龍平君だからこそ、命や平和について真剣に取り組むことができるし、弱者の想いも大切に考えることができます。
私が3日間電話かけをして、「それじゃあ、川田君に投票しよう」と言ってくださった方が5人ほどいました。
そのほかにも、「考えておく」「頭に入れておく」と好意的にいってくださった方も何人もいて、電話かけも効果的だと実感しました。
もちろん、私のように「迷惑だ!」とおっしゃる人、なかにはガチャン! と切る人もいました。
そんな人が続くと、落ち込み電話かけを続ける勇気がなくなります。
気分が沈んだ時は、周りのボランティアさんたちとおしゃべりをして、お互いに慰めあり励ましあっていました。
いろいろなボランティアさんたちと知り合えたのも、楽しい収穫でした。
その中に、広島出身の若い女性がいました。
彼女の中学校時代、丁度薬害エイズ裁判が騒がれていたそうです。
保健の女の先生が、龍平君の話に感動して、毎週一時間の保健の時間に、「なぜ問題が起きたのか」 「龍平君がどうして実名公表して戦っているのか」「薬害とは何なのか」などなど・・・
手作りのプリントを用意して、熱心に授業をしてくれたそうです。
授業は中学時代ずっと続き、彼女は強烈な印象として今でも心に残っているそうです。
今回、龍平君の出馬でボランティアを募っていることを知り駆けつけた、との事でした。
彼女は、そのときの授業の記憶からの想いだけで、今回ボランティアに来ているとの事。
「実物の龍平君を見たこともない」と言うので、ぜひ街頭演説を聴いてあげて、と勧めました。
あんまりいい話で、聞いている私も話している彼女も涙がこぼれました。
その先生は、ほかのクラスでも同じ授業をしていたと言うので、彼女のように多感な青春時代にしっかりと先生の授業を受け止めた人が、まだいるのかも知れませんね。
でも、なんて幸運な生徒たちでしょうか。
そういったことが本当の授業だと思います。
ひとつでもいいから、一生心に残るような授業が受けられる生徒は幸せだと思います。
それが、こうした命の授業ならなお更です。
彼女自身が素直で感受性の強い少女だったのかもしれません。
その先生の授業の影響もあって、今はセラピーの仕事をしているそうです。
でも、「そんなに泣き虫じゃ、話を聞いていていつも泣いちゃうんじゃない?」
と、言いながら、私も泣けてきました。
今回の龍平君の選挙は、日本中から東京の知り合いに呼びかける選挙をしています。
選挙中に出せる公選はがきも、地方に住んでいる龍平君の応援者から東京の知り合いにたくさん宛名書きをしてもらっています。
長野からは1000枚ほど、宛名書きがされたそうです。
今からでも遅くありません。
東京の知り合いにぜひ声をかけてください。
よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
以前もお知らせいたしましたが、川田龍平さんが7月の参議院選に立候補を予定しています。
龍平さんは、私も所属している「みどりネット信州」の会員であり、その仲間から信州で龍平君を応援する会を立ち上げよう!と声をかけられ、私も呼びかけ人の一人として参加させてもらいました。
そこで大変に急な話なのですが、「川田龍平 信州応援団」の集まりを持つ事になりました。
龍平君は、松本大学で非常勤講師をしていましたし、母親の悦子さんは2年ほど富士見町で暮らした後、現在は原村に在住です。
そんなご縁からも、この信州で龍平君を応援する輪を広げて行きたいと考えています。
当日、龍平君本人は多忙の為出席できませんが、龍平君の今までの活動の映像を見て、母親の悦子さんにお話を伺います。
ぜひ、ご参加いただきたく、お知らせ致します。
≪当日の内容≫
●映像が語る「龍平・闘いの軌跡」
●川田悦子「龍平の思い」 (注、龍平君は多忙のため出席できません。)
●私たちにできること・意見交換 など
日時: 6月7日(木)午後7時~8時半
場所: 長野県松本勤労者福祉センター 第2会議室
主催:「川田龍平 信州応援団」準備会
(*この会は、川田龍平君の決意に賛同した長野県在住者有志が集まりました。 「川田龍平を応援する会」と連携をとりながら川田龍平君を応援するために県内で活動します。)
詳しいチラシのダウンロードはこちら ↓ からお願いいたします。
みどりネット信州 http://www.shiftra.jp/m-shinshu/
↓ pdfファイル
http://childnet.ne.jp/junko/pdf/ryuheikawada.pdf
私の今回の選挙運動費用の収支報告を致します。
友人が、報告書を作成してくれました。いろいろと本当に皆さんに支えられています。

上記のものは、選挙管理員会に報告したものです。
選挙管理委員会に報告する時には、車乗運動員(選挙カーの運転やうぐいす嬢など)や、食事を作ってもらったとすると弁当用の材料費として金額をいったん計上し、同じ金額を寄付してもらいます。
たとえば選挙で使った事務所は、我が家ですが、事務所の借り上げ代(5日間で25,000円)や光熱費なども金銭として換算し、それを寄付する形をとります。
同じように、事務所で留守番をしていてもらったとすると、1日5千円に日数分をかけて計上し、その金額を労務無償提供と言う形をとります。
この収支報告の「寄付 444,500円」には、そう言った無償提供の金額も含まれています。
実際に寄付金は 304,000円もいただきました。
たくさんの方から寄付を頂き、本当に感謝です。
前回の選挙と同じように、残った資金を私の政治活動に使わせていただきます。
私の今回の選挙では、うぐいす嬢もいなかったし、電話もかけない、遊説カーもなかったので、かなり金額が押さえられました。
実際に使った経費ももちろん少なくすみました。↓
立候補準備の為の支出
選挙の告示前に配ったリーフレットの印刷代 23,700円
選挙運動のための支出
ポスター印刷代 50,500円
はがき印刷代 9,200円
たすき用の布 1,008円など事務用品などをあわせて 計68,891円
今回の選挙で、準備と選挙運動のための支出が合計で92,591円と言う事になります。
200,000円ほどの活動費が手元に残りました。
新聞折込に一回50,000円ほど掛かりますので、4回分の新聞折込代になります。
表だって・・・或いは陰になり、ご支援いただいた皆さん。
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちを気持ちをおもいっきり込めて、収支報告をさせていただきます。 m(_ _)m
選挙に立候補を表明すると、各社報道機関から、いろいろと問い合わせがあります。
私は「主婦」の立場に拘っているのですが、機関によっては「職業に、主婦と無職は避けたい」と言われるところもあります。
私が議員に立候補しようと思ったきっかけの一つは、
「議会が住民の代表で構成されるのなら、いろいろな立場の人間が参加するべき」と思ったこと。
本当は、20~30才台の人が、もっと参加できるような議会になるべきだと思っています。
私は、4人の子供の母親、そして一人の主婦、と言う立場で議会に参加したいと思っています。
でも、報道機関によっては、「職業に、主婦と無職以外で何かありませんか?」と言われることもあります。
「無職と主婦は議員にはなってはいけないと言う事ですか?」
などと、ついきつい口調で返事をしてしまいます。
同じように「肩書き」も必要で、私には特に何の肩書きもありません。
「私は、特になしでも、構いませんが」と言っても、そうはいきません。
たとえば、会社役員だとかPTA会長だとか、「議員になるような人間は当然、そう言った肩書きがあるはず」 、らしい・・・
でも、私には特に「肩書き」はないし、必要だとも思いません。
小学校のPTA副会長はやりましたが、何年も前のことを、今更・・・と言った思いがあります。
結構、今一番やっていてうれしい「諏訪養護学校評議委員」などと言うと、「それはなんですか?」と聞かれたりします。
と、言う事は、有権者にとって「職業」や「肩書き」が、人を選ぶ時の大きな判断材料になると言うことなのでしょうか?
私も仲間に入っている「みどりネット信州」と言うグループがあります。
みなさん、本当にまじめに、自治体の役割や議員とは何かを真剣に考えて行動している人ばかりです。
でも、実際にはそう言った考え方や実績は票に結び難く、高い志を持ち議員への挑戦をしても当選できない事も珍しくありません。
そういったことに直面するたびに、「議員」とは一体なんなのかと、ぐるぐると同じ場所から動けずにいます。
今年の選挙の春は、本当に寒かったです。
桜に雪。
こんな光景を富士見町で見たことはありません。

美しい、と感激する反面、異常気象が当然になってしまった今の状況を考えると、また立ちすくんで考えてしまいます。
県議選から引き続いての、長ぁ~い戦いがようやく終りました。
無事、当選いたしました。
たくさんの方に色々な形でご協力いただき、本当に感謝です。m(_ _)m
今までの私の4年間が選挙戦。
今回の選挙では、名前の連呼の遊説カーは出しませんでした。
その代わり、辻つじで立って5分から10分ほどの演説をしました。
最初の日の午前中くらいは、「これってすごく良い選挙活動!」と、思いました。
でも、午後になって疲れてくると、自分でも大変な事をはじめてしまったと気がつきました。
1日目は43回の辻だちをしました。
疲れてくると、口が勝手にしゃべっていて、時々何を話していたのか飛んでしまいました。

しかも名前の連呼をしていないので
「こんな選挙じゃ、回ってたってみんなに分からないじゃないか!!」と、地元のおじさんに随分しかられました。 ^^;
5日間で195回の辻立ちをしました。
2日目、3日目は天気が悪く、みぞれや雪が降りました。
寒くて震えながらの辻立ちでした。
時には、友達と二人だけで、自分で車を運転しながら富士見町中を回りました。
4、5日目は天候にも恵まれ、どこに行っても富士見は桜の美しい季節でした。
地道に歩き、いい選挙戦を戦えたと満足しています。
畑のおばあさんに「チラシ、読んだよ。頑張って! 体に気をつけなさいよ」
と言われると、涙が出そうになりました。
告示前に時間を見つけては歩いて、後援会活動のリーフレットを配りました。
これを機会に、灰溶融炉の問題を富士見町の皆さんに知っていただきたいと言う気持ちも重なって、後半友人も手伝ってくれました。
これが、直接票には繋がらなくっても、富士見町の皆さんに知っていただく一つのきっかけにはなったと感謝しています。
100人のうち、たった一人でも、真剣に考えていただける人がいたなら、それでも大きな収穫だと思っています。
実際に、私のリーフレットを読み、辻立ちを聞いて「共感できる」と、「トーク集会」にまで参加してくださった人もいます。
うれしい限りです。
4日目の夜には「トーク集会」を開きました。
私、一人がしゃべる「個人演説会」ではなく、友人の川田悦子さんに応援兼進行役を勤めてもらい、悦子さんの質問に私が答える。
中間に悦子さんの衆議院やHIV訴訟での経験からの話を織り交ぜてもらいました。

この「トーク集会」も、悦子さんのご協力で本当に良いものになりました。
悦子さんには最終日の夕方から、辻立ちの力強い応援までやっていただきました。
さて、これからまた4年間の戦いが始まります。
灰溶融炉、パノラマ、合併・・・
重い大きな問題が山積しています。
まずは歩いた成果として、パンラマ問題を真剣に考える町民の会、を立ち上げたいと考えています。
関心をお持ちの皆さんに参加いただけるような会を考えています。
まず、一歩から・・・

ポスターは読んでもらうポスター。
夫ジェルミと甥っ子の力作です。
でも、今の公職選挙法って本当におかしい!
選挙戦に入ると、自分の思いを伝える方法が、ポスター、広報、800枚のはがき、電話、辻立ちしかありません。
我が選挙事務所では、電話も迷惑だと感じる人が多いのではと、やっていません。
規制すべきことは当然ありますが、どこでを主張して選挙戦を戦えば良いのか・・・・???
そんな中でも、今回は自分なりにイメージ通りの選挙戦を戦えたと思っています。
みなさん、本当にありがとうございました!!
本当に選挙、嫌いです。
まず、恐ろしいのが、自分のポスターが富士見町中に張られる事!
これは、かなり恥ずかしいことです。
先日、インドに留学中の息子と選挙の話をインターネット電話でしていた時の会話
長男「そうそう・・・恥ずかしいよなぁ・・・その上、校庭で部活をしてると『エンジェル千代子をよろしくお願いします』って来るしなぁ~」(これは4年前の話です)
私「そうでした。いろいろご迷惑をお掛けしましたねぇ~」
今回は息子たちも(17、15歳)二人ともインドへ留学していて、富士見町にいないので、その点は気楽です。
でも、県議選で思いっきりやっておいて、言うのもなんなのですが、あの選挙カーの連呼はどうしても疑問!
前回は、新人で名前も知られていなかったので、「名前の連呼も必要」と、選挙カーを出しました。→ http://www.angelchiyoko.net/mt/archives/000019.html
でも、今回は、4年間議員を務めた後です。
私の選挙戦は今までの4年間です。
生意気なようですが、みなさんに4年間を評価をしていただければ、と考えています。
正直に言って、今までの活動が評価されないのなら、議員になっても仕方ないんじゃないかとさえ思っています。
だから、今回の選挙で選挙カーは出しません。
辻つじで立って、街頭演説で皆さんに私の考えをお伝えしたいと思っています。
本日、「同じような事をやっているよ」と、知人が教えてくれました → http://www.excite.co.jp/News/society/20070416030100/20070416M40.106.html
こちらは市議さんたちで、公費で選挙カーの経費が公費で出るようなのでなおさらですね。
議会は住民の代表の集まりです。
だったら、本来色々な年齢、立場の人間で構成されるべきだと考えています。
だから、わたしは「主婦」と言う立場に拘りたいです。
4年間議員をやって来て、私にとってはつらい事が多かったです。
「あと、1年!」
「あと、何ヶ月で任期が終る」と、何とか勤めてきました。
「もう、精神的にもたない」と、ずっと思っていました。
私は議員に向いてないと思うし、パノラマスキー場の将来を考えると正直腰が引けます。
でも、子供たちに「いつも自分の事が好きな自分でいるように」と言ってきた手前、逃げるわけには行かない。
川田龍平さんの決意も私の背中を押しました。→ http://www.angelchiyoko.net/mt/archives/000365.html
よっちゃばりの農村女性や、たまり場、わいわいエコクラブのみなさんと知り合えたのも議員であったからこそです。
「灰溶融炉建設」の問題もここで手を抜くわけには行かない。
そんな葛藤の末、再度の挑戦を決意したしだいです。
さて、戦いの結果は・・・?
さてさて・・・これからは私の挑戦です。
「エンジェル千代子といきいきとした町をつくる会」のリーフレットです。

戦いの結果は・・・

8日の夜、開票結果を事務所でみんなと待っていました。
最初に入った情報は、茅野市の結果。
これにはみんな落胆!
でも、その後入った富士見町、原村の結果で明るい雰囲気になりました。
この票をどう読むかは、さまざまです。
「おらが地域でも、是非県議を出したい」と言う気持ちから、富士見・原ではこれだけの票になったのかも知れません。
でも、灰溶融炉建設問題で、私たちのグループが、一年以上に渡って地道に運動を続けてきた成果の表れ、でもあったのではないかと思います。
富士見町でわずかな差ではありますが、トップを取れたことの意味は大きなものがあると思いました。
この選挙の前に、田中県政を最後まで支援した、平安堂の平野会長から「地域政党」の話を伺う機会が何回かありました。
http://www.new-shinano.jp/index.html
「田中さんは確かにつき合い難い人だった。しかし、その政治理念、将来を見据えた発想、行動力には光り輝くものがありました」
平野さんの言葉には心を揺さぶられるものがあります。
最後までぶれずに田中県政を押し続けたその姿勢も含め、本当にすごい人だと思いました。
峰一さんもこの信濃の国に参加しての参戦でした。
平野さんの情熱に私たちも少なからず揺り動かされました。
その人の生き様に共感して人が集まる、そう言った求心力を持った人が時にいます。
平野さんは、まさしくそう言った人でした。
選挙中、あまりの忙しさで倒れられ、それでも点滴を受けて峰一さんの個人演説会には応援弁士として駆けつけてくださいました。
選挙戦の最終日には、午後の半日遊説カーに一日乗ってくださいました。
私は、午後の1時から8時までご一緒させていただきましたが、何十回となくされた演説の、その一回一回に心を打たれました。

選挙戦の締めくくりは雨の中。
環境会議諏訪・代表の塩原さんのお話によると、長野県の財政状況は日本の中でワースト1
なのに、村井知事は、その上500億の借金をしようとしているそうでうす。
そのために作られた行政改革プランによると平成19年から23年までの5年間で、一般行政や教育部門の職員を1,619人減らし、警察部門は63人増やす予定になっています。
長野県・行政改革プラン → http://www.pref.nagano.jp/soumu/gyoukaku/gyouzaiplan/planseian.pdf
本当に長野県はどうなってしまうのでしょうか?
今の県政に、ぜひ峰一さんのように、田中県政のよき理念を受け継いでくれる議員が必要だと思っていたのですが・・・
残念でした。
でも、選挙には負けましたが、結果実りの多い時間でした。
選挙選で疲れているさなか、「肩の力を抜こう!」と、知り合いから送られてきた東京都知事選の候補「外山恒一候補の政見放送」
これはかなり強烈!
でも、結構共感できる部分があって、ぞっこん楽しんでしまいましたので皆さんにもご紹介を。
→ http://www.youtube.com/watch?v=Hpc5CpFqpQA&mode=related&search=
「最後まで決してあきらめない」これは川田龍平さんが国政に挑戦しようと決心した時の言葉です。
今、同じ思いから私たちの仲間が県政に挑戦しようとしています。
小林峰一さんは、長野県総合計画審議会最終答申
未来への提言
~コモンズからはじまる、信州ルネッサンス革命~ の審議会委員にもなっています。
その時に政策に関わる事の大切さを痛感したと言います。
自分がその場に参加できている事に感動したんだそうです。
彼とは、合併問題の時に知り合いました。
現在問題になっている、灰溶融炉建設問題でもずっと一緒に活動しています。
すぐに突っ走りぎみの私とは違って、すごい勉強家、データーを収集・調査し、綿密に作戦を組み立てていきます。
ずっと「僕は住民運動をして行く。政治には出ない」と言っていたので、出馬を聞いた時にはびっくりしました。
でも、今までの住民運動の延長上に、決定機関である議会に仲間を送り出す必要性を痛感し、
「傍観者でいてはいけない」と、出馬を決意したそうです。
県政への挑戦を決めた彼の話のなかで、私が一番心に響いたのは
「僕たちは、田中さんのおかげであの時、目覚めさせられたんだ。それを後戻りさせてはいけない。」と言う言葉。
確かに田中さんのおかげで、県政は身近になりました。
小さな市町村まで歩いた「車座集会」には、その姿勢に本当に感激しました。
あの時、私たちは田中さんによって気がつかせてもらったんですね。
一度目覚めた住民は、もう後戻りできない。
気づかせてもらった住民が、今度は田中県政のよさを受け継ぐために動こう!って事ですね。
突然の出馬で、何の準備もなく、現在毎日目の回るような毎日を送っています。
(自分の選挙はどうするんだ!?)
HPもおろそかになっています。 m(_ _)m
今更ですが、峰一さんのHPを紹介いたします。→ http://minekazu.com/
応援する仲間が作ったブログもあります。 → http://atomodorisasenai.blog.drecom.jp/
ぜひ、のぞいて見てください。
皆さん!
棄権しないで選挙に行きましょうね!
わが選挙の会計報告を誇りを持って披露します:

でも、上記の申告は、法律上お金が手から手へ渡らなくても、計上する必要があると言うことで、実際使った金額よりかなり多いです。
例えば選挙事務所は自分の家を使ったので、実際に出費は生じなかったのですが、計上せねばならない。選挙カーに乗ってくれた人も、我が家ではがきを書いてくれた人たちも、皆さんに労働を提供していただいた分、金額に換算して計上してあります。
と言うことで、実際に選挙に使った費用は、ずばりと: ¥149,145
かなり自慢できる金額だと思っています。
特別にけちしたわけではなく、今までの経験に習って普通に選挙を行ったつもりです。お金をかけなくても選挙は可能だと言う事だと思うのです。
その上、仲間に支えられた手作りの明るく楽しい、いい選挙が出来ました。
選挙のあり方もいろいろな方法があっていいと思います。
我が家からはほとんど出費がなく、皆さんのカンパで今後の活動資金も10万ほど手元に残りました。
本当に、多くの方に支えていただいていると、感謝です。
選挙の一日目、我が家を出発して、まず第一声を信濃境駅で挙げた。
マイクを握って話し始めたのはいいのだが、次の言葉が浮かばない。話していく順序が分からなくなる。散々な内容だった。
「それなら原稿を読んだ方がいい」と言われた。
でももし、私が街頭演説をしている候補者を見かけて、その人が原稿を読んでいるとしたら?と、思うと原稿を読みたくなかった。
でも、「見ている人より聞いているだけの人の方が多い」とその後も何回か注意されたので、自分を納得させて一日目は読むことにした。
2日目あたりから少しづつ演説にも慣れてきた。
何より辛かったのは選挙期間中、サングラスをかけられなかった事。私はコンタクトレンズを入れているせいか、とにかく光に弱い。時々、家の中でもサングラスをかけていたりしてびっくりされる。よく、怖いイメージだと言われるのも、そのせいかな?
うす曇で空が微妙に明るかったり、雨上がりの空の白さが辛かった。
「サングラスをかけてもいいですかーーー?」と、聞くと
「だめーーー!!!」と、大合唱で帰ってきた。サングラスをかけるくらいなら目をつぶっていていい!と言われた。
それでも毎日、夕方になると頭が痛くなった。
あまりに辛く、3日は鎮痛剤を飲んで、お昼寝をさせて頂いた。

選挙も後半になると演説も慣れてきて、時々口調がきつくなった。
「皆さん!どの候補者がどんな選挙戦を戦っているのかよくみて頂きたい。私は自慢できる選挙戦を戦っている」なんてあまり強調しすぎ、
「言い過ぎー!」と、またまた注意された。
実際、本当に自慢できる内容だった。
自動車や事務所の看板はジェルミがF氏の物をリサイクルすべく、白い合板を打って土台を作り、友達が何日も通って書いてくれた。「そんなことやってるなら・・・」と仲間も増えた。飾りに花も書かれ、本人にはない女らしさをアピールしてくれた。看板作りも楽しかった。

たすきは友達が縫ってくれた。それにパソコンの字を複写し、夜になるとシコシコと自分で黒く塗った。
選挙期間に入ってからはうちではがきを書いてくれる人、夕ご飯を用意してくれる人。
遊説を終えてうちに帰るとすぐに夕飯が食べられるなんて、極楽だった。みんな、仕事の都合を付け、協力してくれた。
うぐいすも空白が埋まって行った。「うぐいすなんかやったことない!」組みが結構多く、マイクを持った途端にかわいい声になったり、思いもかけずに上手だったり、普段とは違った顔を見せてくれ、それがまた楽しかった。
ある友達の第一声を聞いた瞬間に「きゃー!彼女に頼んだのは間違いだった」と思った。「皆様、大変お騒がせ致しております」が、ちり紙交換みたいだったからだ。
ジェルミに言わせると「いや、北朝鮮の放送みたいだ」
遊説していると、友達からすぐにメールも入った「聞いたけど、あれは脅し?」
でも、彼女のうぐいすは力強く、楽しく、恥知らずで、半日死ぬほど笑った。
中にはプロ顔負け!のうまい人もいた。本当にバライティーに富んだ楽しいうぐいす達だった。
加えて、選挙期間中、富士見はどこに行っても桜のきれいな時で、毎日が花見だった。桜のピンクと水仙やレンギョの黄色。何度も心を奪われ、選挙をしている事を忘れた。富士見は本当に美しい町だ。こんな時でないと町の隅々を回るなんて事はない。
「こんないい花見をさせてもらって、これが千代ちゃんの一番の功績かもねぇ」とも、言われた。
「えー!?こんなに料理がうまかったの?」とびっくりさせられたおにいちゃんもいるし、毎日自分の仕事が終わると夕飯の準備を手伝いに来てくれる人もいた。
なるべくたくさんの人に関わってもらって、手作りの選挙がしたい。
その、願い通りの選挙だったと思う。何よりうれしかったのは、やはり、今まで町政や選挙にまったく興味のなかった人たちが少しでも興味をもって参加してくれたこと。
このつながりを本当に大切にしていきたい。

つくづく、幸せ者だと思う。
普段の生活だってそうだが、人間、いろんな人に支えられて生きている。
今回、選挙に出たお陰で、又一つ、私の宝物が増えた。
ちなみに私の選挙に参加してくれた友達が二人、とても嬉しい感想文を書いてくれました。
選挙に出ようと決心してまず思ったのは、私の選挙をしたいと言う事。
今までこの富士見町で2回の町議選に関わって、選挙カーを出し、うぐいすが「お願いします」をやる事に大きな疑問を感じていた。
確かにマイクを握り、「お願いします!!」と始めると、結構はまってしまい夢中になってしまう。人の選挙ならいくらでもやるが、私の選挙なら「好きなようにさせてもらおう」と、思っていた。
千葉で暮らしている時も、選挙カーは迷惑以外の何物でもなかった。ようやく子供が寝付きそうな時に突然大きな声で、「お騒がせ致します!!!」とやられて、腹の立たない親はいないだろう。
議員になろうとするものが、名前だけの連呼をして、有権者は一体、何を基準に候補者を選ぶのだろう?選挙中、候補者が一番伝えなければいけないのは政策のはずだ。
選挙に関わってみると公職選挙法にいろんな矛盾を感じてしまう。
私は「うぐいすは絶対に使いません!」と宣言した。
じゃあ、どんな選挙活動をするんだ?車も出さないのか?
でも、この広い富士見町で車を出さない事は考えられなかった。辻ゞでの演説は絶対に必要だ。自転車も魅力的な考えだったが、とても自身はなかった。
それだったらどうしても車は必要だ。演説している時に、誰なのか目立つように車の看板も要るだろう。
じゃあ、いつもの選挙カーと何が違うのか?
車の移動の時に名前の連呼をしないだけなのか・・・?
それだったら「車も出さないと言う方が分かり安い」と、言う事になった。
つまり、看板つきの選挙カーは出さないと言う事だ。
しかし辻で演説をする時に突然はじめるわけには行かない。その前に名前ぐらい言わなくちゃ・・・
結局、この「うぐいすは絶対にしない!」と言うのは、思っていた以上に結構難しい問題だった。
いろいろな人に意見を聞いてみた。驚いた事に若い人でも、ほとんどの人が「選挙カーが回ってくると、ああ、頑張ってる」と思う、と言う事だ。反対に一度も来ないと「挨拶に来ない」事になるらしい。
それでも、選挙カーなしの選挙を好意的に思ってくれる人もいるはずだ。
しかしこの富士見という地区を考えると、ほとんど知名度のない私が選挙カーなしで選挙戦を戦うのはあまりに無謀だと言う事になった。
それは本当に残念だったが、勝つための選挙、そして、なるべく多くの票を取るためにはどうしても必要な事に思えた。
あれだけうぐいすに反発を持ちながら、結局私は選挙カーを出す事を選んだ。
その代わりなるべく名前だけの連呼にならないように、名前の前後に短く政策を言う。そして常に明るく楽しく、悲壮感を感じるような言い方はしないと言う事にした。
(これはF氏の選挙の時から実践していることだが)
さて、立候補すると決心して一番初めにした事はリーフレット作り。
自分でパソコンで案を作り、何人かに意見を聞いた。こんな時に文章の得意な友達がいるのは本当に心強い。
印刷は業者に頼んだ。なるべく金額を抑えたかったので白黒でもいいんじゃないか?とも思ったが、一番初めに皆さんに私をお知らせするチャンス。
これにはお金をかけても、カラーで見栄えのするものにしよう!と言う事になった。
リ-フレットを持って、まず地元の地区を回った。しかし、内容があまりにも抽象的過ぎて、何をしたいのかが分からないと言う意見をもらったし、自分でも配っていて「これでいいのか?」とも思った。もう少し具体的な事を書いて、自宅でコピーし、先のリーフレットに挟んで配るようにした。
それと同時にお茶を飲みながら気軽におはなしをしませんか?と、茶話会を何箇所かで開いた。ざっくばらんに話の出来たところもあるし、どこを見て話していいのか分からない時もあった。「主婦にも分かる政治」なんてきれい事に過ぎないかもしれない、と思うこともあった。落ち込むと、「そうよね!私たちも、興味を待たなくっちゃ。無関心が一番いけないのよね」と言われ、思わず胸にグッと来たりもした。