2011年01月16日

いい加減にしないと・・・

昨年の暮れの南中学校跡地利用の要望書提出でブログが止まってしまいました。
自分の中でこのことが整理できないと、このブログも先に進めない・・・

昨年の1月の跡地利用の公募(2010年1月10日の記事)から始まり、
2月には、あの校舎を残して利用したいという有志が集まりました。
1年が過ぎたんですね。


私にとっては、4人の子供たちが成長した思い出深い中学校
地域の方々が出払いで作った古い木造校舎は、計り知れない価値があります。

今はインドで音楽の教師をしている次女も、富士見にいた9月までの短い期間に、自分の出来ることと、
友人の協力も得て「旧南中学校を守ろう」のブログを立ち上げました。
卒業生有志で、南中校舎を残すための署名運動もしました。


よそ者の目から見ても、傾斜のある土地の為に平屋の校舎が3段になって作られている特長のある魅力的な建物です。
校舎の真ん中を通っている、階段のある廊下・・・
卒業生達が磨いた、ピカピカの床・・・
斜めからみるとちょっとゆがんで見える手ふきのガラス窓・・・
何処を歩いてもきしむ床・・・
春、夢のように美しい姿を見せる桜に囲まれたグランド・・
子供たちが大切に育ててきた梅林・・・

それらの、どれ一つをとっても、今後、二度と創ることが出来ない大切な宝です。

あの校舎を残したいと「南の学校」に至るまでの、そして、その後の経緯を思い出しては泣け・・・
卒業生や応援して頂いた皆さんの想いを想いを馳せては泣け・・・
ブログの写真を見ては泣け・・・

しかし・・・
本当にもう、いい加減にしないと!

三鷹光器は、富士見町も長野県としてもどうしても誘致したい企業。
それゆえ、プレゼンの時に町長が三鷹光器の補足説明の発言するような自体になってしまった訳です。
まあ・・・正直といえばあまりに正直。

三鷹光器が突然に浮上して決定するに至った経緯
プレゼンでの町長の発言
議員である私がプレゼンに関わったことへの批判

ボーっとしていると、つい、そんな事を思い出しては考えを廻らせてしまう。

私達、有志の会でも、校庭から校舎まで、あれだけの規模を請け負うに当っては、それ相当の議論、覚悟がありました。
富士見町の魅力をみんなに知ってもらえるような魅力ある施設を考えていました。
それは、何よりも私達富士見町民にとって、楽しい場であるコミニュティーの場になるはずでした。

それらは、現在の富士見町に必要なものであり、それを民間の力で築いていく意味も大きかったと思います。
「協働の町づくり」といいながら、富士見町にはそういった活動を応援するような雰囲気がありません。
私達の中には、町づくりに関する始めてのNPO創設という、自負もありました。


しかし、検討委員会で「本当に出来るのか、無責任だ」「区でも反対する」
という様な発言もあったそうです。
そんな意見を耳にした時に、地域の皆さんの理解が得られなかった事が、決定的に私の心をくじきました。

そこが、私達よそ者の一番痛いところ。
いつもどうやって地域の人たちを巻き込んでいけば良いのか・・・

でも、そこに時間を掛けていたら、物事がどんどん進んでしまう。
あの建物に魅力を感じている人間だけでも、まず動くしかない!!

南の学校のメンバーに地域の方を巻き込めなかったのは、時間がなかったとはいえ、
大きな課題であることは、みんなが認識していたことです。


いままでも、何をやってもそこにぶち当たって来ました。
私達「よそ者」が常に抱えている大きな壁です。

「ああ・・・又か・・・」
そう思うと、なんだか音をたてて私の中の何かが、プツンを切れたような気がします。
落ち込みも激しく、しかし、立ち直りの早いのが私のいいところだったはずなのですが、
今回ばかりは、想いや覚悟が大きかっただけに、自分でもどうして良いのかわかりません。

でも、決まった事を何とか前向きに捉らえないと!

世界を相手に三鷹光器さんが使ってくださるのです。
あの校舎は、三鷹さんに視察に来る外国の見学者にとっても、心を奪われるような魅力的なものであると思います。
三鷹さんにとっても、古い木造校舎の利用は、企業PRの一端を担えるのではないでしょうか。

富士見町にあった南中学校が、世界中にその魅力を発信できる機会を頂いたという事だと思うようになりました。
ここで、この問題については区切りをつけたい。


三鷹光器さんが、末永く富士見町に拠点を持ち、地域の方々に愛されるようになることを望んでやみません。

貼り主: chiyoko 日時: 2011年01月16日 23:38
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