日本人であることが、恥ずかしくなるような中川財務相の画像が世界中に配信されてしまった。
それと同時期に、村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞スピーチも、世界中に発信された。
この二つの日本人のメッセージを、対比して見てしまったのは私だけだろうか・・・?
中川氏の酒や薬漬けのうわさは、世間にうとい私でさえ耳にしたことがある。
そんな人物を閣僚に迎えたのだから、当然、任命責任は問われるべきだ。
あんな醜態をさらすくらいなら、会見を欠席して欲しかった。
しかし、そんな政府を選んでいるのは、国民。
世界中に日本と言う国の資質を疑われたんじゃないか。
ああ・・・恥ずかしい・・・
一方、「エルサレム賞」を受賞した、村上春樹氏の受賞スピーチを聞いて感動した人も多いはずだ。
スピーチの内容は勿論だが、受賞拒否を望む声の多い中、あえて授賞式に出席し、スピーチを行ったその生き方に私たちは心を動かされたのではないか。
そこには大変な葛藤があったはずだ。
イスラエルの人々の前でスピーチした意義の大きさに、心を打たれる。
話は変わるが、先日紹介した「ナクバ」を見てきた。
フォトジャーナリストの広河隆一氏は、1967年頃、その理念に賛同してイスラエルのキブツ農場で働いていた。
ある時、農場内で廃墟を発見するのだが、それは、パレスチナ住民を追い出し破壊した跡だった。
それは、広河氏にとって衝撃的な事実だった。
その経験から、イスラエルが建国された1948年に、どんな事が起こっていたのか、真実を探る旅がはじめる。
映画の後に東京大学名誉教授の板垣雄三氏の「パレスチナを通して世界を見る」と言う講演を聞いた。
「よく分からない」と、思っていたパレスチナ問題だが、「なぜ」一端が理解できたような気がした。
「パレスチナ建国」には、他国の介入が大きかった。
「自分たちの国の事は、自分たちで決めさせればよかったんです」
板垣教授の話は、すとんと胸に落ちてきた。
さて、話はまたスピーチに戻る。
↓協同通信配信のニュースで、村上氏のスピーチの要旨をネットで見つけた
村上春樹さんの講演要旨
【エルサレム16日共同】作家の村上春樹さんが15日行った「エルサレム賞」授賞式の記念講演の要旨は次の通り。
一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。
受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。
一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。
どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。
壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。
一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。
卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。
一、さらに深い意味がある。
わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。
壁の名前は、制度である。
制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。
一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。
しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。
制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。
制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。
2009/02/16 10:06 【共同通信】
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「しあわせもかたち」