ジャックラッセルテリアのブルートが行方不明になってしまいました。
この寒さの中、心臓も弱く、人間の認知症と同じ状態のブルートが生きている望みはありません。
一週間がすぎようとして、なんとかこの事にけりをつけないと先に進めないと、書く決心をしました。
この、ブログでも「ちょっとひとやすみ」で登場するブルート。
本当にすばらしい家族でした。
今まで、何頭も犬や猫の家族を得て、何頭も失いました。
子どもたち4人を育てるのに、彼らにどれだけ助けられたでしょうか。
その子どもたちも、一昨年、最後に残っていた次男が、インドへの留学で我が家を離れました。
その直後から、ブルートが私の足にまとわりついていて、よく気がつかずに突っかかりました。
「ブルートも寂しいんだ・・」と、思っていたのですが、今考えるとあの頃から、老いが進んだのかも知れません。
昨年、歯の治療をしてもらおうと診てもらったところ、「心臓が弱っている。散歩も控えた方がいい」と、言われました。
夏頃からは、家の中でも、ぐるぐると同じところを回っていたり、机の隅に頭を突っ込んでじっと動かないでいるのが、気になり始めました。
よく「坂を転がり落ちるように・・・」と言いますが、本当にあっという間に老いてしまいました。
時々、トイレに外に出ていたのですが、自分で戻って来れなくなり、気がつくまで外をぐるぐる回っている事もありました。
今回、その庭のゲートが開いていて、外に出てしまった事に気がつかなかったのです。
16日の、おそらくお昼ごろに出て行ってしまったと思われます。
1時ごろ気がついて夫と捜し始めた時には、もうどこに行ったのか、かいもく分かりませんでした。
それでも、捜し始めた当初、私には「必ず見つけられる」と言う自信がありました。
子どもたち4人を育てている間も、何度、悲壮感を抱いて探し回った事か・・・
悪い結果ばかりが頭をよぎりながら、何度泣きながら探し回ったか知れません。
それに、以前飼っていた老犬も、行方不明になった時に、家族総出で捜して見つけることが出来ました。
いろいろな事件のたびに、必死で探して、最後には何とか見つけることが出来てきました。
なんの根拠もないのですが「今回もきっと見つけられる」と、思っていたのです。
捜し始めて、一時間ほどしたときに、電気工事中のおじさんに聞くと、
「ここら辺をぐるぐる回ってたけど、結局下のほうに行ったみたいだったよ」と、言われました。
そうか、やっぱり、どこに行ったらいいのか分からずに、闇雲に歩いていたんだろうなあ・・・
言われた方面をくまなく捜しましたが見つかりません。
ひょっとしたら、途中でまたぐるぐる回って向きを変えたかもしれない。
「絶対に見つけられる」
信じていたのですが、努力が足りなかったのか・・叶いませんでした。
お隣のご夫婦や、途中であった高校生も捜してくれましたが、見つけることが出来ませんでした。
夜、町の有線放送でお知らせしてもらった所、「あの道をふらふらと歩いていたのを見た」と言う情報もいただきました。
寒い一夜を越してしまったので、絶望的、とは思いながらも、あきらめ切れません。
翌日も、時間を見つけては夫と捜しました。
その道は、車の通りの結構ある、下の集落へ降りていく道。
何度も大きなカーブがあります。
「本当にこの道を歩いて行ったのだろうか」
「冷静になって、考えろ!」と、自分に言い聞かせながら・・・
でも、なんで見つけ出せないんだろうか・・・
「これは、時々ブルートの世話を、面倒くさいと思った私への罰かもしれない」と思いました。
林の中で新しい犬を足跡を見つけると、ブルートの足はこんなに大きくない、と思いながらも必死で追いました。
子どもたちに心の中で、力を貸してくれ、と祈りました。
風の音に耳を澄ませ、木にもすがってみました。
でも、結局、見つけてあげられなかった・・・
寒かったろうな・・・
歩き続けて、疲れちゃったんだろうな・・・
見つけてあげられなくって、ほんとうにごめんね。
たくさんのたくさんの、愛と笑いと、私たち家族にありがとう。
どうやって、この悲しみを乗り越えたらいいんだろう
動物王国にいる時に、何度か「どうやって動物の死を乗り越えるのですか」と質問されました。
「失った悲しみは大きいけれど、生前に彼らから与えられた喜びはそれ以上に大きい」と、答えていました。
どんなに多くの死に出会っても、慣れるなんて事はありません。
でも、そのうち、この死を受け入れるしかないのだと悟ります。
何度も、もう立ち直れない、と思いながら、それでも何とか時が癒して解決してくれます。
床については思い出し、いつもいた場所にその面影をみて、
ひょっとした拍子に思い出しては泣いて・・・
その度に「豊かな時間をありがとう」と、感謝すればいいのかな・・・
いつか、見つかる事があるのかもしれない。
一生見つけることが出来ないで終わってしまうのかもしれない。
でも、大丈夫。
ブルートは、私たち家族の心の中に、どっこい居座っているから。

ありがとう、ブルート。
今まで、私たち家族同様、ブルートをかわいがってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
失礼ながら、ここに感謝とともにご報告とさせていただきます。
ブルートの事を書こうとパソコンに向かっていたら、隣組の一人暮らしの女性が亡くなっていた、との知らせがありました。
心からご冥福をお祈りいたします。
「どんな最後を迎えるのか」考えさせられる日々です。
千代子、
涙が止まりません。
私ね、ぶうちゃん大好きだった。いつもいつも、快く迎えてくれて、ひざに来て、可愛かった。
優しい子だった・・・
千代子に隠れてパンのみみあげるの、楽しみだった。
ぶうちゃんが、そんな歳だったなんて考えてもいなかった。いつまでも、いつまでも、千代子のお家に居るって、当たり前に思ってた。
どこかで、誰かに助けられて、ちゃっかりおなかいっぱいにご飯食べてたりしないかなあ。
みつかると・・・いい。
ぶう~~~~うっ
ぶ~~~~~うっ
千代子!
私も、人生で初めて、ミルクから育てた2匹の猫。
5歳。どんどん歳を取って・・・
こんなに親密に動物と暮らしたことはなくて。
別れを考えたら、とてもとても、生きていけないようなきさえする。
どうやって、乗り越えたらいいんだろうね。
恐い。
親の死も恐い
こわいことばかり・・・
ぶう~~~っ
どうか、奇跡よ!
お久しぶりです。
ぼくはぶーちゃんに一度か二度しかお会いしてませんが、よく憶えてます。犬はどうしても人の寿命を追い越してしまうから、そう遠くないときに別れがくるんだろうと想いつつ、ぼくも今、ココという犬との日々を過ごしてます。
おっしゃるとおり、だから今という時間を大切にしなきゃと思います。
でも、ぶーちゃん、ひょっこりまた出てくるかも、ですよ(笑)。犬って案外とタフだから。どこかの軒下で寒さに耐えているかも。それを祈ってます。
ブルートの安否は判明したんでしょうか? まだ一縷の望みをどこかに持っているんだろうと推察します。 実は私も半年前に飼い猫の死に直面しました。 時おり富士見動物病院に通っていましたが、どんどん衰弱し始めて先生に「もう手の施しようがありません」と言われたその日、自宅に連れ帰ってからは何度も倒れては起き上がり、最後は私がちょっと目を離した隙に息をひきとっていました。 たった3年の命でしたが、生前の可愛いしぐさが思い出され、しばらくはすごく落ち込みました★ ‘失った悲しみよりも与えられた喜びはより大きい’とありましたが、その心境に至るにはやはり長い時間が必要だと思います。 ブルートがこのまま天に召されたとしても、千代子さんはじめご家族との触れ合いは薄れゆく記憶の中に浮かび上がることでしょう。 野生の本能で死を自然に受け入れる動物に比べて人間は思考し、意味づけをしますから、却ってそのことに囚われるんでしょうね? どうかいっぱいブルートのことを思い出してやってください! 一緒に顔を見合わせて微笑んで・・・
貼り主: 八ヶ岳おろし 日時: 2009年01月25日 21:46みなさん、どうもありがとうございます。
ブルートがいなくなってしまってから、よく元気だったブルートを思い出しています。
畑にサルが出没すると、連絡をもらって、追っていたのは、つい最近の事のようです。
このブログでも「サル追いに出動」で書いているのですが、一番最近の記事が2006年の1月18日でした。
本当に、よく働いてくれました。
幼い子どもたちと一緒に育ったので、一緒に育ったアイリッシュ・ウルフハンドのクーと共に、子どもたちにとってはかけがえのない存在でした。
「ハッピーバースディ」を歌うと、大興奮!
ブルートも一緒にほえていました。
本人は歌っているつもりだったのかも・・・?
猫のジョンが大好きで、「ジョンはどこ?」というと、ワンワンほえて、一生懸命に探し回りました。
どの場面を思い出しても、なんて楽しく豊かな時間をもらったんだろう・・と思います。
ブーもたくさんの人にかわいがってもらって、嬉しかったと思います。
ありがとうございました。
ありがとう!ぶうちゃん。
あなたは、私の胸の中に今も、元気に居ます。
千代子、元気だしてね。
春、行きたいです。いっぱい話したい。