知人に「ヒロシマナガサキ」と言う記録映画を紹介してもらいました。
まだ、冬休み中の息子たちと一緒に見ようと思ったのですが、残念ながら、長男には断られました。
「広島、長崎への原子爆弾投下は、戦争で唯一の使用例である。
直後の被爆地の写真や映像は、米政府が25年間、公表を禁じた。」
映画の導入は、日本の街頭で若者に「1945年8月6日に何があったのか教えてください」と言うインタビューシーン。
質問された若者がみんな「知らない」と、答えます。
監督によると、8人の若者にインタビューしたのですが、全員が知らなかったそうです。
監督は「これは強烈なメッセージだ」と、そこでインタビューの撮影を中断しました。
「日本の若者は多少原爆の事を学校で習ったとしても
すっかり忘れてしまったのか、気にしていないのでしょう」
「それは、日本の若者が軽薄だとか無関心だというのではなく
教育システムや人々の、政府の問題だという事」 スティーヴン・オカザキ監督の言葉です。
映画は、広島・長崎で被爆した14人と、原爆投下に関わった4人のアメリカ人の証言が核になって構成されています。
爆心地から300mの場所にいた証言者。
在校生620人の学校の唯一の生存者となりました。
「なんで生きているのか。これを伝える為に、お前は生かされているんだと思いました」
はだしのゲンの作者 中沢啓治さんも証言者の一人です。
満6歳の時に被爆。
衝撃が強く、セットを作れといわれたらそのまま作れるくらいに、鮮明に覚えているそうです。
ある証言者の話
「小学校1年生で戦争に突入。
恐怖と逃げ回っていた事しか覚えていない。
家族揃っていて言うようなところは薄れてしまっている。
苦しみが続いたので、話をする事が出来なくなってしまった。
今でも、出来ないのは、妹の名前を今でも呼ぶ言葉できない」
「軍国主義教育を受けているので、男子たるもの戦場へ行って花と散るのが宿命だと思っていた」
「私たち人間はぎりぎりの時に、死ぬ勇気と生きる勇気と二つ並べられるんじゃないかなと・・・
妹は残念ながら死ぬ勇気を選んだんですけど、私は生きる勇気を選びました」
「体の傷と、心の傷と両方の傷を背負いながら生きていく苦しみは私たちだけでもう十分です。」
原爆を投下された側だけではなく、投下した側の証言も重いものがあります。
映画のなかで、1942年 タイム社製作による「敵国日本」と言う米海軍向け映画の紹介があります。
「7千万の日本国民にとって、天皇裕仁は神である。
祖先神 天照大三神の直径の子孫とされ天皇個人が
日本とその国土資源 さらに国民までも 所有しているとされる
天皇による全世界の支配が神意であると 日本国民は信じている
この神明を果たすために 妨げとなる国や民族をすべて打倒することが
日本の陸海軍の聖なる義務なのである。~略~」
こうして、当時の敵国から見た日本と言う国を見るとドキッとします。
「天皇による全世界の支配が神意であると 日本国民は信じている」
とまでは知りませんが、多くの日本人が「天皇陛下」の為に、命を落としたことは事実です。
現在の私たちは聞くと「なんと理不尽な国家なんだ」と思います。
つくづく、教育って、恐ろしいし、これほど大切なものはない、と感じます。
映画の内容は、証言者の話や、当時の映像で、たんたんと語られています。
とても直視できない場面や、証言者の話の内容があまりにおもく問いかけてくるものもありました。
映画自体もとても良かったのですが、私が興味深かったのは、26分間の監督へのインタビューです。
日系3世のスティーヴン・オカザキ監督がなぜ、被爆者の映画を撮ろうとしたのか、などの問いに答えています。
当初、監督は、原爆投下から50周年にあたる1995年の公開を目指してリサーチを始めていました。
日本のテレビ局が後援、米国のスミソニアン協会の協力も取り付けていました。
ところが、準備を進めていると政治的な空気が漂い始めます。
原爆を投下したエノラ・ゲイ号のスミソニアン博物館での展示をめぐり、
ヒロシマの何について語るか激しい論争が起きたそうです。
それで、日本の製作者も米国側も手を引き、スミソニアン側も当初の予定を変更。
原爆投下後50年を経て初めて、ヒロシマナガサキの出来事を大きく公開するはずだったのに、
被爆者の物語を展示から一切外され、死者も被爆して苦しむ人も触れられなかったそうです。
「僕はすっかり失望し、大きな怒りを感じました。
歴史はこうやって語られるのかと・・・
テレビ局や政府や大組織によって支配され
事実は語られぬまま 無難な物語にすり替えられるのです。
僕は苦い怒りにみたされました。」
その後、中断した製作に関わった人たちから、60周年にあたる2005年に向けて
「もう一度やろう」と言う声が高まってきます。
しかし、オカザキ監督は、以前の体験のように、失望感を味わいたくないと、
小さなDVカメラを使って自主製作で短編の「マッシュルーム・クラブ」をつくります。
「この作品はたとえ見る人がいなくても、 被爆者たちへのお返しになると思った。
彼女たちの映画を作るという自分との約束を果たしたという。」
しかし、それは監督の作りたかった映画ではありませんでした。
2005年のある日、米国の大手ケーブルテレビHBOから連絡を受け、「ヒロシマナガサキ」製作へとつながって行きます。
この映画は、歴史の為、そして未来のために、被爆者にただ体験を語らせるだけの映画であり、
その中に、穏やかさと誠実さの両立を強く心がけたそうです。
「インタビューを続けるうちに、胸がつぶれる思いを何度もした。
聞いているのはつらくて、続けられないと感じた。」
編集作業で、突然心が強く揺さぶられてしまうこともあったそうです。
「この作品は僕にとって単なる栄華ではありません。
僕にとって人生経験であり、すばらしい経験でした。」
★ゲームで簡単に人を殺している若い子供たちに、見て欲しいなぁと、思います。
人が人を殺すのって、そんなに簡単な事じゃないって事。
人の皮膚がどんなになって、内蔵が壊されて・・・
どんなに時間が経っても、心の傷も癒えないって事。
長い時間をかけて、この映画の作製をようやく実現した監督や、
勇気を持って、証言してくださっている方々の想いを、何とか伝えて行きたいものです。
どうやって、みんなに感心を持ってもらったらいいのでしょう・・
いつも、いつも悩む所です。
我が家の長男のように、見るか見ないかの選択があったら、
「見ない」「知りたくない」で、済ませてしまったほうが楽かもしれません。
本当は、学校の授業で見てもらうのが一番早いと思います。
「天皇は神だ」と、当時の政府が教育したのですから、
その結果をも、きちんと教育現場に取り入れていないのは、本当におかしな話です。
オカザキ監督が言っているように、知らない人・関心のない国民の多いのは「教育システム・政府」の問題です。
でも、教育現場に入っていく事は本当に難しい。
何回も、学校の先生にお願いしていますが、実現しません。
でも、あきらめずに働きかけていこうと、思います。
自分のできる事として、
こうした「映画」という媒介を使って、皆さんに平和を考えていただく機会を、小さなグループですが続けています。
まず、出来ることから。
同感です。 原爆が日本人に与えたものというのはある意味、最大の負の記憶ではないかと思います。 我々戦後生まれの人間は親や周りの大人から戦争体験を聞かされる事が多かったのですが、原爆というのはその中でも最もインパクトが強いものでした。 私の父親も被爆者です。 幸い爆心地から離れていたため助かりましたが・・。 街をさまよい歩いたり、その後しばらくは遺体をトラックに乗せる手伝いをさせられたりしていたそうです。 私も何の根拠もないのに、子供心に原爆後遺症(遺伝)について心配したものです。 中学生の頃、原爆資料館へも行ったことがありますが、その後また行きたいとは思いませんでした。 記録映画等についても、悲劇の面ばかり強調されるような気がして、今まで遠ざけてきたというのが正直なところです。 まして‘戦後’という言葉さえマッチしない今の若い世代に見てもらうのはかなり難しいといえるでしょう。 教育現場でも戦争について語るということがどんどん遠ざけられているように感じられます。 このことに熱心になると、要注意の先生と言われかねませんしね。 でも世界で唯一の被爆国民として、子孫になんらかのメッセージを残すことは大事ですよね。 誠に悩ましい問題です。
貼り主: 八ヶ岳おろし 日時: 2009年01月26日 21:02八ヶ岳おろしさま
コメントをありがとうございます。
映画上映を通じて、皆さんに伝えたいのは、「まず、どんな事が起こっていたのか、真実を知ろう!」ということです。
そして、その最大の目的は、次の世代を担う若者に知って欲しいという事です。
しかし、何度か映画上映会を企画していますが、残念ながら若者の参加はほとんどありません。
DVDを先生に観ていただくと、伝える事の大切さや学校でみせることの意義についての想いは共感していただけますが、先に進みません。
でも、「むずかしい、むずかしい!」と、言っているだけでは、何も起こりませんものね。
発信し続ける事が大切だと話し合っています。
また、企画したいと思っていますので、その折りによろしかったらおいでくださいまし。
貼り主: エンジェル 千代子 日時: 2009年01月28日 08:46