①教育長が目指す教育とは何か。今の教育で一番かけていると思うものは何か。
②今の教育には議論する事・書く事が決定的に欠けていると思うが、「議論できる子」に重点を置くことで富士見町独自の教育を目指す考えは
③携帯・IT社会において、子供をどう守るか具体的な考えは
1回目
①教育長が目指す教育とは何か。今の教育で一番かけていると思うものは何か。
全国公募で教育長が選任されて1期が終わろうとしています。
その間、大きな重圧や、組織の中で自分の思うようにならないジレンマなど、ご苦労が多かったと推測いたします。
また反面、外部から教育長を向かえたということで、職員にも困惑・苦労の場面が多かったことと思います。
しかし、結果が住民にとってどうであったのかと考えた時に、中間教室や児童クラブ、子育て支援など、私の周りの町民からは、評価する声を多く聞いています。
一期目の最後の締めとして、大きなテーマですが、教育長の目指す教育につて伺いたいと思います。
教育長が富士見町の子供たちをどのように育てたいと考えているのか。
そして今の教育に何が一番かけていると考えていらっしゃるのかお聞かせください。
②今の教育には議論する事・書く事が決定的に欠けていると思うが、「議論できる子」に重点を置くことで富士見町独自の教育を目指す考えは
先日、「インドの衝撃」と言う番組で、本当に衝撃を受けました。
インドの急成長の影には、やはり教育の力がありました。
通称IIT・インド工科大学は、理系エリートを育てるための学校ですが、この学校では、深く考え議論を戦わせることに力を入れられ、論理的な思考と人を説得する力が養われています。
相手を説得できるだけの議論する力をつけるために、小学校のころから力を入れていました。
たとえば、6年生では、毎週一回はディベートの時間があり、子供たちに身近な「学校に自転車で来るべきか、バスで来るべきか」と言うテーマに、議論します。
たとえ自分の意見が圧倒的少数であっても、自身を持って反論できる力が養われています。
考えからの違う人に自分の意見を説得する教育がなされています。
インタビューにある子供が「練習すれば誰だって自信を持って意見を言えるようになる。」と答えていました。
国を支えるのは、本当に教育の力だと感じます。
すぐに結果の出るものではありませんが、どこかで始めなければ何も変わりません。
議論することの大切さは、イギリスで教育を受けた夫は、事あるごとに訴え続けてきました。
長女の小学校時代に、担当の先生が一度ディベートを取り入れてくれましたが、一回だけでは身に付けることはできません。
日常の授業の中にディベート方式が取り入れられていくことが望ましいと思います。
現在の制度の中ですぐに転換することは難しいとは思いますが、先日、南中学校の授業参観日で、すでに取り入れられ始めていることを知りました。
3年生の数学の授業では、同じ結論を引き出すために、4種類の選択があり、自分の選んだ方法での解き方をみんなに説明すると言う内容でした。
このような授業を富士見町の教育の柱としてとして積極的に推奨することはできないでしょうか。
また、書くと言うことも同じように、学習したことを自分のものとするには不可欠な教育です。
私自身の経験でも、聞いた講演会の話を自分の言葉として、その場にいなかった人にわかる様に趣旨を伝えることができるか。
自分の頭の中でしっかりと理解していないと、相手に伝えることはできません。
教育こそが、将来の力となります。
どこに出ても通用できる議論する力を、富士見町の教育の柱とすることで、「そんな富士見町の教育を受けて子育てしたい。」と言う親も出てくると思います。
現在の教育に不安を抱いている親は多く、社会に出て生き抜く力を持つ事こそ求められていると思います。
考える力を養うことこそが今求められている現在の教育だと思いますが、教育長の考えはいかがでしょうか
③携帯・IT社会において、子供をどう守るか具体的な考えは
先日のIT講演会をお聞きして、4人の子供を持つ母親として、なんと危機感のない親だったのかと反省をした所です。
教育長は、携帯・IT社会における子供の育ちに、大変な危機感をお持ちのようです。
全国的にも、「小学生には携帯を持たせない」と言う運動が広がりつつあると聞いています。
教育長は富士見町の子供たちを、具体的にこのように育てようとなさっているのかお聞きします。
★教育長の答弁に、「議論する力を重視する教育は世界の流れです」とありました。
でも、世界の多くの国では、もう何十年も前から重視する教育を進めてきています。だから、インドではそういう教育を受けた人たちが、現在世界中で活躍しているのです。
いち早く、富士見町としての教育のビジョンとして他の自治体に先んじて掲げることが大切なのではないか、と思うのです。、
夫は現在翻訳を生業としていますが、書くことを専門に習ったことはないそうです。
イギリスでも、数学以外はほとんどがレポートを書く教育だったそうです。
ですから、全ての教科の先生が、国語の先生でもあったと言っています。
だからこそ、今、書くことを仕事とすることができていると。
教育長も同じように言っていましたが、教育とは、「一人の人間として社会で独り立ちできるようにすること」だと思います。
そのためには、自分の頭で考え判断できるような教育こそ、求められていると思うのです。
書くこと・議論すること、未来の日本の社会を背負う子供たちを、一刻も早く育てはじめなければならないのではないでしょうか。
そんな富士見町であって欲しいと、強く願います。