最近、「「裁判員制度」についての新聞記事が目立つようになってきました。
長野日報の元旦の裁判員制度の記事についてコメントを求められた時に「まず、制度を導入する理由が良く分からない。もっときちんとした説明が必要ではないか」とコメントしました。
私としては「裁判を身近で分かり易いものに」その程度の理由で、他人の人生を左右するような作業に加われません。
「陪審員制度」は、よくアメリカの映画で見るように、選挙人名簿などから無作為に選ばれた人で構成され、裁判官から独立して原則全員一致で「有罪」「無罪」を決めるもの。
それに対して今回日本で導入される「裁判員制度」は、基本的には裁判官と同等の権利を持ち、合議により罪責と量刑を決めていくもだそうです。
それにしても、です。
灰溶融炉建設問題でずっと住民活動をしているのですが、一番最初に「循環型社会形成に即した環境にいい施設」と説明された時には、「必要な施設だ」と、思ってしまいました。
あの時に「本当に大丈夫でしょうか?」と、若いお母さんから疑問を投げかけられなかったら、どうしていただろうか・・・と思うと不安になります。
たとえば、(たくさんの疑問の中のほんの一例ですが)溶融炉の生産物であるスラグに関して、「国のJIS基準が出来ました」と聞いた時に
「でも、その試験ってどんなものだろう・・・?」と、疑問に思って調べたからこそ、酸性雨にもその他の環境の変化にも対応していないものだと言うことが分かりました。
日常の生活の中で、こうして見落としている事って、ものすごく多いんだろうと思います。
そう考えると、自分に人の運命を左右するほどの洞察力・判断力があるのだろうか・・・とものすごく不安になります。
ただ、その反面、この世の中で本当に「正義」が成されるのかどうかを見てみたいと言う、強い好奇心もあります。
正義を振りかざして戦おうとしてもうまくいかない事は、今までの経験から良く分かっています。
でも、正しいことが行われない世の中なんて、あっていいはずがないとも思います。
特に、人を裁く法の世界で・・・。
おととし8月の福岡市で幼い3人の兄妹が死亡した飲酒運転事故で、福岡地裁は被告に対し、「危険運転致死傷罪」を適用しませんでした。
「高度に酩酊(めいてい)した状態ではなかった」
狭い道でも接触事故を起こすことなく運転していたことなどから「正常な運転ができない状態ではなかった」として、
「事故は脇見によるもの」と認定しました。。
裁判官って世論が読めないんだろうか・・・・・・?
それほど、法の壁って高いのだろうか・・・・?
素朴な疑問です。
時速100Kmの速度で車を運転していて、12秒間もわき見運転をする事がありえるのだろうか・・・?
私も実際に車を運転している時に、時速80kmくらいで走りながら12秒を数えてみました。
そして、たとえが時速が40Kmだったとしても、12秒間もよそ見運転をするなんて、そんな事、絶対にありえないと思いました。
そんな事が「ありえないことじゃない」なら、日本中事故だらけになってしまいます。
・・・今までも納得のいかない判決が下された事、何度もありますよね。
そう言うことなのか・・・と思いました。
薬害肝炎の問題も「現行法の枠があって裁判所も政府も出きずに議員立法でやった」と、いいます。
法律の高い壁の中で裁くには困難な事を、ごく一般人の常識で判断する事も必要なのかもしれない。
常識的に考えても、多くの人が判断したことの方が、法律よりも「正しい」判断を下す事ができるのかもしれません。
以前「裁判員制度」の話をした時に、夫のジェルミは
「裁判所が暴走しないためには、いい制度だと思う」と、言っていました。
なるほど、そうなのかもしれない・・・と、思うようになったこの頃です。
(☆以前このページを読んだ長女の円から、コメントが来ましたので貼り付けます。ちなみに、アダムは長女の弁護士をしている彼氏です。 ^^ “それでもボクはやっていない”観てみないといけないですね)
結構前からアダムが日本でそういう制度を導入する意見がでているって言っていた。陪審員制度(裁判員制度)はもともとは裁判を身近にするって理由よりも、裁判官よりももっと被告人の立場に近い人たちがいろんな視点で判決を議論して、もっと公平になるように、って理由だったらしいけど。ごもっとも。
前にも言ったけど、”それでもボクはやっていない”っていう映画(http://www.soreboku.jp/index.html)にあるように、日本の有罪判決率は異常に高い。それは政府が裁判官を任命するように、三権分立が成り立っていないからだっけ?(無罪は検察側=政府の意向に反するから)あと、その高い有罪判決率にのっとって次の有罪判決を渡すから。ママが言うように、人はいつも正しい判断ができるわけではない。でも裁判員制度が導入されると裁判官が自分のキャリアを犠牲にして無罪を言い渡さなくていいから、少なくとも判決に対しての政府の影響が少しづつ減るかもしれない。
アダムによると、日本は弁護士学校と裁判官学校に分かれてて、弁護士が経験をつんで裁判官に選ばれるカナダの制度とも違う。若い、将来のキャリアが大切な裁判官が政府の意向に反するの判決を出すには勇気がいる状況だって。
あと、確か周防正行監督が”それでもボクはやってない”がバンクーバーで公開されたときの講演で、日本に裁判員制度が導入されても、判決を議論するときに裁判官も同席するって言ってた。だからそれもまたちょっとほかの国とは違う制度になるんじゃない?裁判官がいたらせっかくの裁判員の意見に影響するんじゃないかとも思うけど・・・。
わたしは完全に勉強不足だからそう色々いえる立場にないけど、陪審制度賛成の人のページ:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/baisinnseido.htm
賛成の立場から書いてあるページだから偏りがあるかもしれないけど、長所、短所書いてあるよ。