昨日は久しぶりに胸のすくようなニュースがありました。
入学式や卒業式で、日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の教職員が都教委などを相手に、起立や斉唱義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決が21日東京地裁であり、原告側の全面勝訴となった。
http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200609210287.html
新聞によると
「難波孝一裁判長は、違反者を処分するとした都教委の通達や職務命令は『少数者の思想・良心の自由を侵害する』として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止した。」
私たちにとって、司法の場と言うのは、政治以上に遠い存在になりがちです。
でも、こうした判決が出た時に、改めて国の方向を左右する大切な場所だということを再認識させられます。
この判決を下してくれた難波裁判長が、これからどうなってしまうのか心配でもあります。
司法は、はっきりと独立した立場でこうした判断ができるはずですが、実際にはその時の政府の力が大きく影響してしまうのが事実でしょう。
このニュースを聞いて思わず「ありがとう」と叫んだ人は多いでしょう。
たとえ控訴された結果、判決が逆転したとしても、とても意味の大きな判決だとおもいます。
小泉首相は「敬意示すのは法以前の問題」と発言しましたが、法以前の問題をなぜ法で強制しようとするのでしょうか。
なぜ、力で押さえつけようとするのか私には理解できません。
力で抑えようとすれば、当然反発が起きます。
難波孝一裁判長の言うように「国旗国歌は強制するのではなく、自然のうちに国民に定着させるというのが国旗国歌法の趣旨であり、学習指導要領の理念」です。
「義務だから歌え」と言うのではなく、日の丸を愛し、君が代に誇りを持って歌えるようにするのが本当の教育です。
日本が先の戦争での責任を検証して謝罪すべきは謝罪して、その上で国際社会の中の一員として発言しない事が問題ではないですか。
難波裁判長は、
「日の丸や君が代が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた経緯に言及。式典での掲揚や斉唱に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に値する権利だ」とも述べたそうです。
この判決の特徴は「職務命令や処分が出る前に、起立や斉唱などの義務自体がないことの確認を求めた点だ。」
ともありました。
私は、この判決が偏っているなど思いもしなかったのですが、
インターネットでこの記事を調べていて新聞によって随分違う物だとびっくりしてしまいました。
9月22日の 産経妙には次のようにありました。
・「日の丸・君が代は侵略戦争のシンボルで戦前を思いださせる」という屁理屈を学校で吹き込まれた悪影響は大きい。
・常識のない裁判官にかかれば、白も黒になる。高裁ではまともな裁判官に担当してもらいたい。
・それにしても自分の国の国旗や国歌が嫌いで訴訟までするセンセイが都内に400人以上いるとは驚きだ。・・・教師にも「思想良心の自由」はあるだろうが、生徒にはまともな教育を受ける権利がある。
この記事を読んで、私も勉強になりました。
こう言った記事を書く自由も日本にはあるんですね。
ひとつの事も見方はさまざま。
だからこそ、教育って本当に大切です。
前にも一度、「愛国心ってなんでしょう」と、書いた事があります。
長女はインドに留学して、インドの若者が民族衣装を着なくなった事を残念に思い、次回日本に帰った時に着物の着付けを覚え、日常的に着ていました。
それは、「日本を愛する気持ち」の一つの表れではないでしょうか。
その気持ちは、この富士見町で暮らして自然に育まれた感情だと思います。
私はそんな娘を誇りに思っていますし、そうして育てられた事に感謝しています。