現在日本で取り入れられている、いわゆる「パブリックコメント」は、意見公募の手続そのものを指す言葉としても用いられています。
でも、欧米では議会や委員会で住民が意見を述べる機会を保障しているところが多く、その事をパブリックコメントと言い表しているようです。
現実に、町民が行政に対して物を言うのは残念ながら非常に勇気のいる事です。
しかし、私たちはお上の決めたことを守らなければいけない国家に住んでいるわけではなく、主権が住民にあるのですから、住民の声の上に行政が成り立っているはずです。
住民の意見を募るために、あらゆる努力をすべきだと考えます。
そのためには、何よりも住民に身近な親しまれる行政や議会であるべきです。
原村の中学生議会を傍聴して、一層その思いを強くしました。
こども議会に関しては富士見町も検討された結果、これ以上先生方に負担を掛ける事はできないとの事で実現しませんでした。
たとえば住民参加の先進地であるカルフォルニアのバークレー市では、市長と議員の前で子供から大人まで自分の意見を述べる事ができます。
バークレーのように行政と議会が協力し合って住民の声を聞く場を設けるなら無理が無いのではないでしょうか。
富士見町の1万5千人を構成している子供たちが、自分たちの暮らしている町の行政に関心を持つ事は、将来の富士見町を築く上で大変に価値のあることです。
子供には子供の目線があり、われわれには気づかない事が多くあるでしょう。
それは、一般の住民にとっても同じことです。
本当の住民との協同を目指すなら、あらゆる機会を作って行政や議会と、住民との距離を縮める努力は必要です。
是非、住民に町長の意気込みを示していただきたいが、いかがでしょうか?
と、町長に一般質問で聞いたら聞いたら
「町長への手紙、町政モニター、町政懇談会、審議会等いつでもどこでも設けている。
また、住民の意見を集約している議員各位の意見をきちんと聞いています。ここを良く聞いてくれ。
議会制民主主義の形を取っているので議会の皆さんにご相談して進むのが本来の姿。
議員の皆さんも是非に逃げなんでくれ。」
と言われました。
自分の責任から逃げるわけではありませんが、今の議会制民主主義の形が100%ではありません。
この、議会制民主主義のあり方ってどうなんだろう、と言う疑問があったからこそ、議員になっているわけです。
こう言う話になると、いつも
「議員のくせに、だったら議員なんか辞めちまえ」とか
町長の言うように、議員の責任を逃げている、と言われます。
逃げるつもりはありませんが、常に今の議会制民主主義をよりよい物にしている努力は必要です。
まさか、みなさんが今の形で充分だとは思ってはいませんよね。
議会制民主主義のあり方にしてはこれからもずっと考えていかなければいけない大切な課題だと思っています。
これから進めようとしている「協同の町づくり」は、住民の意見の集約、合意形成が無ければ成り立って行きません。
住民の声をいかに広く集めるか、そしてその声から政策を立て行く事が基本だと思います。
住民の声を聞くのに、なぜ議場に拘りたいのかと言うと、それは富士見町の行政を決めてる大切な場所だからです。
その場所が住民にとって身近な場所になる事、行政に興味を持ってもらえるような努力が欠けてはいないでしょうか。
PR的にも効果はあると思います。
住民が自由に意見にものが言えると言う気運を、形から作り上げていくと言う方法もあるのではないだろうか、と私は思うのです。