2006年07月15日

教えられなかった戦争

おばさんの仲間5人で、史上の事実を知りたいと、「教えられなかった戦争」の上映会を続けています。
5月に中国編。6月に沖縄編の上映会をしました。

その「教えられなかった戦争」中国編     ~侵略からの開放・革命~
の 製作・編集をなさった高岩仁さんの文章をご本人の承諾を得ましたので、ご紹介します。

☆この、文章や映画をご覧になって、違和感を感じる方も多いかと思います。

 私は、決して共産党でもないし、中国共産党を美化するつもりもありません。
 ただ、映画の最後の部分で、戦犯管理所に収容された日本の方たちが、
 自分たちが残虐な行為をしてきた中国の人たちから、暖かい待遇を受け、
 自ら学習して日本の戦争について問い直すところは、本当にショックでした。
 あの悲惨な戦争の後で、こんなひろい気持ちでこんな事ができた中国人って何なんだろう・・・って思いました。

 一つの歴史上の事実として、私たち日本人が知っておくべき事だと思います。

資料をPDFファイルにして載せようと思ったら、重すぎるのか載せられません。ワードにする時にひょっとしてミスがあるかも知れません。ご承知ください。
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日本軍国主義の敗北から60年
中国編の製作・編集によせて
             
製作・監督 高岩 仁


 敗戦から60年を経た今日、日本社会では首相
の靖国参拝がくりかえされ、政治家や財界人に
よる侵略戦争を美化する発言が大き手をふるい、
自衛隊が海外派兵され、究極として平和憲法の
改悪が目指されています。戦争を必要とするも
のはだれか? それは昔も今も変らず、自らの
利益追求だけにひた走る財閥・資本家です。
 日本の敗戦に際しては、アジアなど他の国に
捕らえられた戦犯971名が死刑判決を受けまし
た。しかし日本が最も多くの人を殺戮し略奪を
くりかえした中国では、死刑や無期懲役を受け
た者は一人もいません。“たとえ戦犯であって
も、みな人間である。人間であるかぎり人格を
尊重し、反戦平和のために闘う人間にもどれる”
わたしたちは、中国のこの政策から、いま深く
深く学ぶ必要があります。

わたしたちは、明治以来現在にいたるまでの、
日本によるアジア侵略の実態と、侵略を誰が必
要としたのか、その原因を追究した作品「教え
られなかった戦争」シリーズを、20年間つくり
続けてきました。これまでに、マレーシア、フ
ィリピン、沖縄、そして再度フィリピンで取材
した4本の映像作品を完成させ、『戦争案内』
というブックレットを1冊発表してきました。
そして今、シリーズ5作目の<中国編>をつく
りあげました。
 
 2年以上前から、日本では元中帰連(中国帰
還者連絡会=中国で戦犯容疑者となり、戦犯管
理所に収容され、そこで己の残虐な罪を反省・
告白して、平和のために生きることを確認して
帰った元日本兵の団体)の方14人、不戦兵士の
会の方1人、満蒙開拓青少年義勇軍として中国
に渡り、戦後中国人民解放軍に加わった方1人、
人民解放軍に参加した方3人、戦中から戦後ま
で中国に滞在して、中国の解放に開わった方2
人に取材しました。また中国では、抗日義勇軍・
人民解放軍関係者6人、農民4人、労働者1人、
社会科学院関係者4人、戦争記念館職員2人、
撫順戦犯管理所職員1人、ガイド1人、以上合
計40人の方たちの貴重な話を聞き、撮影してき
ました。
 
 日本は明治以来、中国に対して一貫した侵略
政策を続けてきました。軍事力を使って中国の
あらゆる資源を強奪した上に、中国を日本商品
の独占市場にしようとしました。その結果、ア
ジアの中で日本だけが、ずば抜けて資本主義的
に発展し、財閥たちは巨額の利益をあげまし
た。そのために多くの中国人を虐殺し、たいへ
んな数の中国民衆を貧困のどん底に落とし込
み、餓死者を出す結果をまねきました。これ
は、統計上からも、元日本兵の証言からも、中
国民衆の証言からもはっきりと描き出すことが
できます。
 
 とくに今回の中国ロケで撮影しながら驚いた
のは、満鉄が直接経営していた撫順炭坑や鞍山
鉱山・鞍山製鉄所、鉄道建設現場、それに財閥
たちが事業を行なっていた鶴岡炭坑、密山炭坑
など多くの事業所近くには、必ず巨大な「万人
抗」があったことです。「万人抗]とは、これ
らの事業所に強制連行した多くの労働者を、苛
酷な労働条件下、ろくに食事も与えず長時間強
制労働させ、体が弱ったり、重い病気にかかっ
た人を生きたまま谷間に捨てたり、過労死した
人を捨てた現場のことです。撫順炭坑だけでも
2万人の労働者がそのような形で殺された、と
社会科学院の研究者は語っていました。しかも
そうした人の中には、日本の憲兵隊が捕らえた
政治犯や、人民解放軍の疑いをかけられた人が
大勢含まれていたそうです。つまり中国にとっ
てはかけがえのない、抗日運動・人民解放の闘
士、政治運動の活動家が、満鉄や三井物産、三
菱商事などの財閥が巨大な利益を上げるために
邪魔者扱いされ殺されたのです。中国全体では
1000万人以上の人びとが日本侵略の間に殺され
ていますが、これはドイツのヒトラーが行なっ
た強制連行・強制労働・虐殺を上回る犯罪行為
と言うべきではないでしょうか。
 

財閥が求めた侵略戦争 
 満州(中国の人たちは、日本がでっち上げ
た満州国を、このように呼んでいる)の世界的
特産物・大豆について報告します。元日本兵の
一人の方は、「いわゆる『三光作戦』、村落を襲
って奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くす軍の
作戦のときに、大豆や綿の収穫時期を狙って、
農家が収穫したばかりの大豆や綿などを一粒残
らず奪い尽くした。そして現場にトラックを乗
りつけた三井物産の社員に引き渡していた。三
井物産の社員は農家に入って小銭をチャリンと
投げ込んでいった。奪ったのではなく商取引を
したという言い訳作りをしていたようだった」
と証言しています。
 
 別の日本兵の方は「強奪した大豆やトウモロ
コシ、綿を、農家の馬車やロバに積ませ、近く
の駅まで連ばせ、倉庫に収納して商社員に引き
渡していた」と話しています。
 1943年に偽満州に渡った満蒙開拓青少年義勇
軍の一員だった人は「15歳のときに国内の訓練
所に入所したら、軍事教練と大豆栽培の訓練を
みっちりやらされた。現地に行ってみると、中
国人から取りあげたり、二束三文で買いたたい
た広大な農地が用意されていて、そこで大豆を
中心に穀物栽培をさせられた。収獲物はほとん
ど徴収されてしまった」と語っています。
 
 朝鮮との国境に近いフンチュンの、満族のお
年寄りの話によると「満州国建国と同時に政府
から大豆の栽培を大量に強制されて、自分かち
が食べるものが無くなるほどだった。そして
1930年代後半になると、わたしたち農民はすべ
て居住地区から追い出されて、広大な原野にほ
うり出され、多くの餓死者が出た」。その後に
入り込んできたのが日本からきた開拓団の人た
ちだったそうです。
 
 大豆は、日本の財閥たちにとっての、偽満州
関連の一貫したトップ商品でした。大豆、大豆
油、大豆粕を大豆三品といいますが、大豆油で
マーガリンを作って欧州諸国に、大豆粕は肥料
として日本や台湾に輸出していました。ところ
が、1920年代の後半になると、日本側の大豆関
連の企業の業績が軒並み低下してくる。 1928年
の三井物産の支店長会議の議事録には、このよ
うな発言が残っています。人連支店長「本質的
な大問題は、満州の軍閥、特に張作霖による大
豆の大買いつけである」(坂本雅子著『財閥と
帝国主義』ミネルヴァ書房刊)。
 
 またこのころ張作霖は、満鉄に平行する鉄道
を計画し工事に着手していました。これが実現
すれば満鉄には大打撃です。その上張作霖は軍
費調達のため紙幣を乱発し、たいへんなインフ
レ状態になり始めていました。これも日本財閥
には頭の痛い問題でした。 1929年、張作霖は
関東軍によって爆殺されました。財閥の邪魔者は
消されてしまったわけです。しかし張作霖の息
子張学良が後を継いで活動し始めた1931年、今
度は関東軍が、本格的な中国に対する侵略戦争
を始め、日本の財閥にとっての邪魔者を根こそ
ぎ追い払っていきます。これが1945年まで続く
15年戦争・日中戦争の始まりです。
 

「冀東密貿易」に見る収奪の構図 
 わたしが今回の取材で初めて知った、「冀東
密貿易」について報告します。このことは坂本
さんの『財閥と帝国主義』に、詳しく書いてあ
ります。今回その中心的な現場に行ってきまし
た。 15年戦争を始めて間もない1936年に、偽満
州と中国本土との境目の冀東地区に、関東冀東軍が
軍事力を背景に自治政府(傀儡政権)をつくっ
てしまった。中国は建国以来、欧米列強と日本
から軍事力で押しつけられた不平等条約に苦し
められていました。それが国際的な民主化の動
きや、中国民衆の闘いによって、徐々に改善さ
れ、1930年代に入ると中国の民族産業を守るた
めに正当な税金を外国からの輸入品にかけられ
るようになっていました。ところが冀東自治政
府は、極端に低い税率で輸出入を許す体制をつ
くってしまいます。ただちに三井物産は、砂糖
やスフ(人工繊維の布)を、冀東自治区を通じ
て大々的に輸出して、中国国内で販売していま
す。その量は、正常に中国が輸入した量を上回
っています。そのために「上海の60余軒の砂糖
店は気息奄々であり、天津の70余軒の砂糖店は
倒産した]、また「中国人紡績工場が経営難に
陥り、日本人の手に帰するなどの影響が出てい
る」。その結果、中国国民政府の海関税が通常
の3分の1に減少しています。

三井物産の利益の推移(1890~1939)単位円
1890    78,000
1895  1,087,000 日清戦争をへて台湾植民地化
1904  2,221,000 日露戦争/満州植民地化
1931  13,345,000 満州事変
1939  31,297,000 第二次世界大戦はじまる

この冀東密貿易で三井物産が輸出した砂糖会
社の筆頭に、台湾製糖があがっています。台湾
製糖というのは日清戦争の後、日本が台湾を中
国から奪って植民地にした直後に三井物産が始
めた製糖会社です。筆頭株主は三井物産、第二
位の株主は天皇です。そして創立十年後には配
当が25%、20年後には100%になっています。
日清戦争直後の台湾には、台湾入が経営する製
糖会社が1000社以上あったのですが、20年後に
100社に、40年後にはゼロになっています。
これはひとつの例にすぎませんが、このように
見ると、日本が行なった侵略戦争は、誰が必要
として始められたのかがはっきり分ってきま
す。その犠牲になったのが中国の民衆であり、
そのほかアジアの民衆です。日本国内でもその
おこぼれを頂戴した者がいくらかいたかもしれ
ませんが、日本民衆のほとんどもその犠牲にな
っています。


世界の平和を希求した中国革命 
 中国では、各地で強力な抗日運動が闘われま
した。この運動を抑えつけるため日本の貧しい
農民や労働者の子弟が洗脳され「天皇の軍隊」
に仕立てあげられ、投入され、多くの犠牲を強
いられましたが、それより何倍、何十倍も多く
の中国の人びとが虐殺されています。中国民衆
の侵略者との闘いは、日本が侵略した多くのア
ジア諸国の抗日の闘いにも広がり、またその闘
いが連帯して、1945年8月に勝利しました。中
国では、引き続き他国の侵略に協力する階級を
一掃して、人民を解放する闘いが5年間続けら
れました。この闘いには、その意義に賛同した
多くの日本人も参加しています。そしてついに
1949年、再び帝国主義の侵略を許さない社会体
制を、アジアの地に築き上げるという偉業を成
し遂げました。
 
 戦後、この人民解放の闘いが、アメリカを先
頭とする帝国主義者によってつぶされてしまっ
たフィリピンやマレーシアなどは、現在日米な
どの資本の侵略にさらされ、多くの人びとが居
住区から追われ、殺されています。その現場を
見て、作品をつくり続けてきただけに、中国が、
再び他国の侵略を許すことのない社会体制を築
き上げてきたことを、高く評価したいと考えて
います。
 

求められていた問いへの、一つの回答 
 最初のほうでも少し紹介しましたが、中国帰
還者連絡会というのは、1945年の日本敗戦時
に中国にいた日本兵で、戦争犯罪人と認定され、
中国の戦犯管理所に収容されていた人びとで
す。人数は1109名。そのほとんどは敗戦後ソ
連に約5年間抑留された後、中国の戦犯管理所
に移された人たちです。
 
 中国の戦犯管理所に収容された当初は、「な
ぜ俺たちだけが戦犯なんだ!」と反発が強かっ
たそうです。それが中国側による常識では考え
られないような、温かい人間的な対応に戦犯た
ちも気がつくようになり「自分たちは中国にな
ぜ来かのか」「中国でどんなことをしたのか」
を見つめ直し、お互いに学習し合うようになっ
たそうです。
 
 当時まだ中国では極端な食糧不足の時代だっ
たのに、戦犯には白米を腹一杯三食出してくれ、
副食も希望を聞いて、できる限り希望に洽うよ
うにしてくれたそうです。管理所の職員は、一
日二食、雑穀しか食べていなかったのにです。
 管理所の職員の中には、親や血縁者の多くを
日本車の兵士によって惨殺されていた人もいた
ので、激しい不満が出だのを、管理研の幹部が
説得して、なだめたということもあったそうで
す。
 
 それは、戦犯管理所を指導していた中国共産
党の方針が、単に中国人民を解放するだけでな
く、世界の抑圧された人民の解放までを視野に
入れたものであったこと。したがって真の敵で
ある日本の帝国主義者と、基本的に味方である
日本人民を、常に区別して対応していたこと。
また、中国共産党が最初から強大な武力を用意
して、暴力的に日本などの侵略に抵抗し、国内
の軍閥や半封建的政権と闘ったのではなくて、
ぎりぎりのところまで追い詰められるように
なって、仕方なく武器を手にとり、圧倒的大多
数の人民を味方につけることによって、闘いに
勝利したこと。つまり、決しで“暴力主義者の
革命”ではなかったこと、も見落とせません。
 
 そして、中国の人民解放が、奴隷以下のよう
な状態だった農民や労働者を解放し、農民には
自分で耕す土地を平等に分配し、労働者には職
場を自主管理にして、生産も富の分配も労働者
自らが協議して決めるようにした革命であった
ことも決定的要因です。元日本車戦犯の人びと
は、その革命の成果を中国からの帰国直前、
1964年に見学旅行をして、農民の生活ぶりや
生き生きとしている農民の顔の変化、工場や住
宅、都市部の発展を目の当たりにして、「中国
人なんか、遅れた国の人間には何もできない」
と思いこまされていた自分の考えを、みごとに
覆されたと告白しています。
 
 これこそが、いままでわたしたちがつくった
作品を観て下さった人びとから求められていた
問いへの、一つの答えだと思いました。侵略を
必要とする資本家階級から、権力を労働者や農
民、勤労大衆が奪って、富を平等に分け合うこ
とのできる社会をつくりあげる。支配したり、
されたりする階級のない社会、競争を基本原理
とする必要のない社会を確立する。下からの、
民衆から積みあげた本当の民主主義が保障され
る社会にする。こういうことのための革命こそ
が必要だと考えます。
 
 残念ながら日本では、この中国革命をはじめ、
社会主義に向けた革命が不当にねじ曲げられて
知らされています。日本が資本主義社会である
ため、国家権力は基本的に資本家が支配し、政
権も、教育も、マスコミも、基本的には資本家
のコントロール下にあります。だから、その資
本家階級を無くしてしまう革命の情報や知識・
学問が、日本で正しく素直に伝わらないのは当
然といえるでしょう。わたしたちは、これまで
製作した作品の製作過程や広報の過程で、日本
には基本的に言論の自由がないことを、強く認
識し続けてきました。それだけに、何としても
日本による中国侵略と、中国での抗日・人民解
放の闘いの真実は、正しく広く伝えたいと願っ
ております。これこそが、他国を侵略して民衆
を踏みつけにし、百年以上の資本主義的発展を
続けてきた日本の歴史を断ち切って、われわれ
自身も解放され、他国の民衆と平等に仲良く発
展していける国に変革する唯一の道ではない
か、とわたしは考えております。
 
 そしてこの道こそが、沖縄の平和運動の父・
阿波根昌鴻さんが求めていた『世界の人びとが
富を平等に分けあえるようにする』平和運動へ
の道だ、と思います。


~証言者の言葉~

大河原孝一さん 81歳
元日本軍兵士・戦犯

「わたしは戦犯として捕らえられた
とき、中国人を何人も刺し殺し、略
奪し、焼き尽くしたことに対する、
罪の意識はまったく無かった。国か
ら与えられた任務を立派に果たした
という誇りしか持っていなかった。
戦犯管理所側の暖かい対応で、徐々に学習
しようという意欲が芽生えてきた。集団で
の学習の中から、独占資本のための戦争に
駆り出されていたことに気がつくようにな
った。人民に依拠して、人民のために闘っ
ている解放軍に勝てなかった理由がよく理
解できた。世界の平和のために、これから
の人生を生き抜きたい」


韓慶珍さん 73歳
農民 黒龍江省

「日本支配時代は、あらゆる食料を奪
われた上に、人間にも家畜にもすべ
て税金がかけられて、苦しい生活だ
った。正月に隠れて少しの米を手に
入れて、食べてるところを見つかる
と、日本兵に殺された。八路軍がわ
れわれを解放して、土地を平等に分配して
くれた。5人家族で2町あった。牛や馬も
くれた。選挙を初めてやった。八踏車に多
くの農民が自らすすんで入隊した。その成
果を、蒋介石の軍隊から守るためだからね」
この時の、韓さんの輝いた顔が印象的だっ
た。

野田 明さん 元満蒙開拓青少年義勇軍、
戦後に人民解放軍に参加 77歳

「われわれが入植したときは、中国農民か
ら奪ったり、二束三文で買いたたいて農
民を追い出した広大な農地が用意されてい
た。そこで最も主要に生産していたのは大
豆だった。これは、三井三菱の重要な資源
だった。戦後誘われて解放軍に参加、土地
革命に加わった。中国二千年来の封建地主
から土地を奪って、農民一人ひとりに平等
に分配した。そして、いままで最下層だっ
た人びとがみずから権力を握り、それまで
収穫物の8割まで地主にとられ、そのわず
かな残りを日本車からとられていた農民が
解放された」


張一波さん 9・18研究所所長・元解放軍兵士
77歳 長春

「父は農民運動の幹部だった。
日本の憲兵に逮捕され、むごい拷問を受けたが、
一言もしゃべらなかったので、生き埋めに
された。その一ヶ月後わたしは
抗日組織のメンバーになった。
13歳だった。こんなことをされ
て、立ち上がらない中国人はいない。 45年
8月15日、日本は負けた。みんな喜んで踊
った。銅鑼がなかったので洗面器をたたい
て大騒ぎした」

 

貼り主: chiyoko 日時: 2006年07月15日 18:00
コメント

dutuumotiといいます。私も以前高岩仁さんの作品を二本見たことがあり、その実証性と論理性、等身大の視線(民衆の視線といっていいかもしれません)、そして何よりも内容に非常に感銘を受けました。
しかし、この文章を読むまで、迂闊にも内容を忘れてしまっていました。。
最近の動向は高岩さんが明らかにされた事実を無視、隠蔽する方向性にあるような気がして、そのような方向では、この国の将来を決めることは出来ないか、出来たとしてもロクでもないものになると思っています。そしてそのツケは当然国民一人一人が、また国民以外の外国の方々にも波及するでしょう。
また、あまりにも事実を無視すると、事実を受け入れることが出来なくなるのではと危惧しています。
NHKも財閥の戦争関与というものを掘り下げてはくれません(放送委員会に経済界の方々が参加しているからなのでしょうか?昔からなのでしょうか?)。なので、高岩さんの映像は今でもとても重要だと思います。
映像の内容を思い出させていただいてありがとうございます。それでは失礼致します。

貼り主: dutuumoti 日時: 2009年08月10日 17:25

dutuumotiさん、こんばんは。
ブログに立ち寄ってくださってありがとうございました。

私たちは、まずは「事実を知りたい」という率直な気持ちから映画上映会を始めました。
歴史が、ほんの一握りの人たちの利益によって動かされていることが悲しいですね。
日本人であることを卑下するつもりはありませんが、事実を知った上で、初めて日本人としての本当の誇りや国を愛する気持ちが備わるのだと思っています。
ぜひぜひ、次の世代を担う若者に見て欲しいものです。

貼り主: エンジェル 千代子 日時: 2009年08月12日 20:58

野田明さん、すごい方ですよね。まだ「教えられなかった戦争」を観たことがないので、近々野田さんをゲストに上映会を開きたいとおもっております。そのためにも、この記事はとても参考になりました。ありがとうございました。

貼り主: 豊間根香津子 日時: 2010年07月24日 18:07

豊間根香津子さま  こんばんは

この文章は「教えられなかった戦争」中国編のパンフレットに故・高岩さんがお書きになったものです。
皆さんにも是非、読んでいただきたいと、私のささやかなブログですがお願いしたところ、紹介させていただくことを快諾してくださいました。

本当に、一人でも多くの方に見ていただきたい・・・特に若い世代の方に見ていただきたいですね。
古い記事ですが、お目に触れて本当によかったです。

野田さんは証言をなさっている方ですね。
どんなにお辛いだろうと思います。
それでも、使命感がら、その壁を乗り越え語っていただいているのでしょうか・・・
察するに余りあるものがあります。

貼り主: エンジェル 千代子 日時: 2010年07月25日 00:29
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