10月22日 不登校支援 長野県子どもサポートプラン 第3回 諏訪地域ネットワークフォーラムがあり、
「不登校児は何を求めているのか」と題して「小児脳科学心理学」と言う新しい実践的学問を実施していらっしゃっる赤沼侃史先生のお話がありました。
不登校児を持つ親、教師、行政、一般の方もさまざまな立場の方の参加がありました。
赤沼先生のお話は、『不登校児にとって、学校は恐怖の条件反射をおこすもの』
聞いていて極論だと思いました。
こういった会に参加してくださる先生は、不登校児に対しても意識の高い先生たちでしょうから、話の内容に納得のいかない先生の多かったかも知れません。
でも、本当に辛く苦しんでいる人が、「こう言った見方もあるんだ」と救われる人がんならそれでいいんじゃないかとも思いました。
いろいろな意見を聞いて、その中で最終的に自分がどう考え、判断するかって事が大切なのではないでしょうか。
赤沼先生は向日葵会診療内科の医師でいらっしゃいます。
20年前から登校拒否の問題に取り組み、ボランティアでネット上でカウンセリングを行っています。
実際に知り合いのお母さんの一人は、苦しんでいる時に先生に出会い、先生を信じて相談に乗っていただき、現在はお子さんも元気に高校に行っているそうです。
その熱意には本当に頭が下がります。
先生のお話は脳科学に基づいての話でした。
聞いていて、単純な私は「なるほど!」と、納得してしまう事が多かったです。
登校拒否の子どもに対応していて気がついた事
・すべての子どもが学校に反応している
・学校で辛い体験をしている
・子どもが「学校」と言う刺激に反射的に反応している。
・「学校で辛い経験をしている事実」と、「学校に反応している事実」結びつける必要がある。
・子どもの心は動物に近く、いやな思いをした学校と言う刺激に、心が反射的に反応している。
→それが「心の傷をしての恐怖の条件反射」の成立となる。
条件反射には2つあって、一つは獲得するもの。もう一つは逃げようとするもの。
その子には意識できない潜在意識の領域で、その子なりの学校にいけない理由がある。
先生のHPを紹介しておきますので、興味のある方はそちらをごらんになった方が分かりやすいと思います。
一人でも悩んでいる子どもや大人を一人でも多く救いたいと、メールで相談も丁寧に受けていらっしゃいます。
その情熱には、本当に頭が下がります。
赤沼先生のホームぺージ『登校拒否研究会』のアドレスです。
http://www.toukoukyohi.com/index.htm 説明付きメニュー
先生の講演会の後、各テーマごとに4つの分科会に分かれてました。
1.広汎性発達障害と不登校
2.不登校の生き方・進路・社会的自立
3.高校生以上の不登校・ひきこもり
4.初期の行きしぶり(登校拒否)へのかかわり
私は「初期の行きしぶり(登校拒否)へのかかわり」に出席したので、今現在、不登校の子どもを抱えて悩んでいる最中の保護者の方の出席が多かったです。
悩み苦しんでいるお母さんたちの話の一つ一つ丁寧にそしてはっきりとお答えになる先生に、納得されたお母さん方も多いと思いました。
そんな話を聞きながら、「これだけが正解ではないだろうな・・」と、私は違和感も感じていました。
何年か前の「子どもサポート・チームすわ」の分科会でお話くださった、A先生の話が忘れることができません。
今は校長となったA先生のお話でしたが、「私は今でもあの子が不登校になったのは自分のせいと思っています」と、話し出されました。
不登校になってから、A先生は「自分は君の事を一生懸命に考えている。忘れてはいない。愛している」と伝えたかったと、毎日欠かさず彼の家を訪ねたそうです。
でも、毎日訪ねても会うこともなくそのまま卒業になり、彼は引きこもりになってしまいました。
時は流れ、ある時成人した彼からA先生のところにはがきが届きました。
「あの時、僕は先生に会えなかったけど、毎日先生が訪ねてくれるのはうれしかった。長い間、引きこもりになり苦しんだけど、こうやって初めて外に出れた事を先生にまず一番先に知らせたかった」
その、はがきがA先生はどんなにうれしかった事か・・・
それでも、A先生は「あの子が不登校になったのは今でも僕の責任だと思っています」と、涙ながらに繰り返されました。
その話を聞いた、やはり子供が不登校で悩まれていたお母さんが
「先生方は少しも子どもの事を分かってくれていないと不信感しか抱けなくなっていました。でも、A先生のお話を聞いて、先生の中にも子どものことを真剣に考えてくれている先生がいるんだと知って、本当にうれしかったです。」と、これ又、涙ながらに話されました。
赤沼先生は、「辛い思いを思い出すような要素はすべて排除すべき」「先生が家に訪ねてくることもお母さんは断るべきだ」と、おっしゃいます。
それがすべてのケースで正しいとは言えないでしょう。
事実、不登校になり先生が毎日来てくれることが負担で先生の訪問がなくなった途端に家でも元気になった、と言う話も聞きます。
でも、A先生の話をいつも思い出します。
私は、中学生時代、担任の先生に提出していた日記で随分救われましたし、教えられました。
多感な時代を心から信じられる大人がいた事は本当に幸せだったと思っています。
子供と先生とがどんな関係を築けるかにもよるのだと思います。
いつも思うのですが、結局子供たちは先生から人としての生き様を学ぶんではないでしょうか。
また、赤沼先生は「行けない理由が学校にあるから、子供たちは学校に反応するんだ。もし、理由が家庭にあるなら家庭に反応するはずだ」
ともおっしゃいました。
でも、私はどんな時にも親が無罪であるなんてことはありえないと思っています。
子育て・教育の基本の場は家庭です。
「知らなかった。気づかなかった」はそのサインを見落としていた親の責任だと思います。
子供が不登校になれば、その子の親も教師も悩み、苦しみ、自信をなくし傷つきます。
それがあるいはA先生の方に一生心に深く刻み込まれる傷となる事もあるのかも知れません。
でも、A先生がそうだったように、その子自身も周りの大人たちも、乗り越えた時に得る物は計り知れない大きな宝です。
私はどんな事柄も、人生にとって人を成長させるために必要なものだと思っています。
私自身、4人の子供の母親として、いつも悩み、時にはぞっこん自身を失いながら、子育てと言う迷路の中をさまよっている気がします。
でも、ここを抜け出せば、必ず子供にも私自身にも肥やしとなって成長できると信じています。
子育てに「これが正解です」なんてありえないし、いくつもの方法があるはずです。
その選択肢の中から、悩みながらでも、その時々に最良だと思われる事をやっていれば、それは「正解」なんじゃないでしょうか。