「映画 『日本の戦争』シリーズを貸し出しいたします。」と言うチラシが、友達から回ってきました。
この「日本の戦争」シリーズは、戦後50周年を迎えるにあたって、戦争で見つめる日本の近代史と言う社会科の歴史教育副教材として、東映教育映画部で作成されたものです。
私たちは、近代日本の戦争について本当のことを知っているのでしょうか?
中国や韓国などでの反日感情は、どこから来るのでしょうか?
戦争体験者は高齢化し、これから一体誰が、その事実を伝えるのでしょうか?
「事実として何があったのか知りたい」
そんな気持ちでが共通だった知り合いが集まり、「映画を見る実行委員会」を立ち上げ、上映会を開きました。
映画は全部で5本あります。
「日韓併合への道」(30分)
「朝鮮半島植民地支配の実態」(28分)
「太平洋戦争への道 中国大陸侵略」(30分)
「「太平洋戦争と東南アジア」(29分)
「太平洋戦争と沖縄」(35分)
脚本・監督は中津義人さんによるものです。
1994年に「太平洋戦争とアジア」を作り、その後4年をかけて5作品を作られたと言う事です。
副教材は毎年作られており、一定の普及がすすむと時間の経過とともに忘れられ、「お蔵入り」になるのだそうです。
でも、「歴史的事実に基づいて日本の戦争をまとめた記録映画は少ない。もっと広めるべきだ」と言う助言から、自主上映会を広めることとなったそうです。
戦後60周年を記念して、今年はかなりたくさんのテレビ番組がありました。
さまざまな世代の人を交えての討論番組や、原爆についての番組、などなど。
その中で、私が特に印象的だったのは、ある若い女性の言葉です。
確か、オーストラリアに留学していたと言っていたように記憶しているます。
そこで、「戦争の歴史についても学んだけれど、こう言う味方もあるけれど、もう一方ではこんな見方もある、といろいろな見方があることを学んだ。」 と言う話でした。
その話を聞いた時に、本当に共感できました。 それが教育のあるべき姿なんではないのかと。
いろいろな見方の中から、何が真実なのかを判断できるようにする事が、必要なんではないかと。
「日本の映画」は、見ていて辛くなるような内容ばかりでした。
友達の言葉を借りるなら、「日本人である事が辛くなるような内容」でした。
ある文章によると、先の戦争で日本の死者は310万人と言われているそうですが、日本がアジアの人々に与えた犠牲者は2千万人にものぼると言われているそうです。
日本の朝鮮半島支配は日韓併合にいたるまでに35年にも及んでいた事。日本語を強要し、名前さえも奪い、朝鮮の文化・誇りまで奪おうとしていたんですね。
無差別都市爆撃は、日本がはじめた事だったというのも、初めて知りました。
「南京大虐殺」 言葉は知っていましたが、その本当の意味を今まで知らなかったと分かりました。
市民を巻き込んだ虐殺は上海、シンガポールなど、アジアのいろいろなところでも行われていた事でした。
学生時代 「特攻隊」の話を聞いた時に、日本人の一途で勇猛果敢なその行為を、「美しい」と思いました。
でも、特攻隊は、現在悲劇を繰り返している自爆テロもと、同じことなんですね。
真珠湾攻撃の2時間前に、マレー半島に上陸していた事も、ほとんどの日本人は知らないことだと思います。
「その目的はゴムやスズ、鉄鉱石、石油という豊富な資源の確保とビルマから雲南省を経て重慶にいたる蒋介石支援ルートの遮断であった」と、映画で伝えています。
沖縄での死闘は米軍の戦史によると「ありったけの地獄を一ヶ所にまとめたような戦闘であった」そうです。
なぜ、日本はここまで戦争を続けなければいけなかったのでしょうか?
映画を見ていて、原爆が落とされていなかったら、日本はどこまで行っていたんだろうと思いました。
どんな理由があったとしても原爆投下を正当化できるものでもないし、今後も決して許されてはいけないと思います。
でも、映画を見て思ったのは、日本人にとっては、原爆で終戦を迎えた事で、被害者である事のみが強調されてしまったのではないでしょうか。
それ以前にあった、加害者としての日本の数々の侵略・虐殺を、多く日本人は知らず、知らないがために反省も謝罪もなくアジアの人々に接しているのではないでしょうか。
日本人って本当にアジアの人々にひどい事をして来たんだ・・・と本当に息が詰まりそうでした。・・・悲しかったです。
2年前の冬休みに家族でインドネシアに旅行に行きました。
スマトラ島のある地方で闘牛や、以前ご紹介したイヌのブタ狩りをしている所があり、それをぜひ家族に見せたいんだ、と夫・ジェルミの長年の夢でした。
スマトラ島のブキティンギと言う町に行った時に、「昔日本軍が作らせた壕があるから見に行かないか?」と、声をかけられました。
突然に「日本軍」と言う言葉を聞いてびっくりしたのですが、見学に行く事にしました。

壕が掘られていたのは、こんな渓谷の絶壁です。
谷の下に、小さな集落が点在していました。

現在は観光に使われていて、ガイドを仕事にしている人もいました。

詳細は忘れてしまいましたが、細い壕を進むと、中にはいくつかの部屋まで作られていました。
驚いたのは、この壕を作っていることは、当時 島民さえ知らなかったそうです。
他の島から島民を連行して極秘のうちに掘られていた、との事でした。

出口の一つです。

壕の掘られていた谷を、細いつり橋を渡って、隣の村に行ってみました。

真ん中の部分が、壕の最終の部分です。

細い道を登っていくと、そこには美しい村がありました。
近くの村でも「私は日本語をしゃべれます」と言う人に何人か声をかけられました。
その時は友好的に受け止めていたのですが、先に映画を見ていたなら、受け止め方はまったく別のものになっていたでしょう。
中国では日本の敗戦した8月15日は光復節と言って、暗黒時代が終わり、太陽の光が再び戻ってきた日という意味だそうです。
アジアの人々にとっては、原爆によって日本の侵略から開放された日となった訳です。
映画の内容はショックでした。
でも、それとおもじくらいショックだったのは、映画を見ていただいた皆さんからの感想です。
上映会場のコミニュティープラザのAVホールは60席あります。その席がほぼ満席となりました。
ほとんどの方が50歳以上の方で、感想にも「若い人に見て欲しかった」と言うものが多くありました。
何がショックだったかと言うと、
私は自分自身の年代では知らされていない、と思っていたのですが、年齢に関係なく、年配の方でも戦争の事実を知らなかったと言う事です。
日本の外での事、アジアの国々でどんなことが起こっていたかは、日本国民にはまったく知らされていなかったんですね。
もし、映画「日本の戦争」の自主上映会について興味をお持ちの方がいらっしゃったら、連絡先をお知らせしておきます。
・作品の貸し出しはビデオテープ(VHS)か16ミリフィルム
・作品の貸出料
ビデオの場合 一日の上映につき、入場予定者100人以内の場合
5セット・・・50,000円(税込み)
各作品毎・・・15,000円(税込み)
・入場予定者が100人を超える場合、学校(小・中・高)主催の上映、一週間以上の連続上映などの場合はご相談
《問い合わせ》オフィススリーウェイ
ホームページ http://www.kokuminrengo.net/2005/200502-movie-nakatu.htm TEL/FAX 03-3759-7920(中津)