富士見町の人権教育推進委員会では毎年 年2回、町内の各学校で研修会を開催しています。
今年は落合小学校と南中学校が当番校。
7月9日、落合小学校で人権教育推進委員、各学校の関係者、保護者の参加で研修会が開催されました。
まず、各学級ごとに授業参観。
その後、
研究協議会として、落合小の人権教育の基本方針。授業参観しての意見、感想など。
松本教育事務所の教育支援主事の人権教育講演会 などが行われました。
授業参観は、高学年と低学年には時間が分かれているのですが、あちらのクラスもこちらのクラスも進み具合が気になって、参観が中途半端になってしまいました。
3年生のクラスに入った時、子供たちは教室の前で、先生を取り囲んで読み聞かせをしてもらっているところでした。
その、子供たちの本を聞く集中力、目の輝きにまず感心しました。
本を読んだ後に「さあ、もう少し書き加えてみて」の先生の言葉に子供たちが一斉にプリントに書き始めました。「友達ってなんだろう」と言うことを考えていたのだと思います。
本を読んだ後に「会った事がなくてもなくても友達」「年が離れていてもともだち」「いじめをしないで知らない人にも声をかけたい」と言うような意見が出ていました。
授業の流れがつかめなかったのですが、クラスのその日の課題に取り組む集中力に驚きました。
後の“授業参観しての感想や意見の時に
「授業の初めの頃は、自分の考えを書けなかった子供たちが、45分の中で考えを深め、読み聞かせが終わった後には、一生懸命にプリントに書き込むことが出来るすごい授業だった」
と感想を述べられた方がいらっしゃいました。
なるほど、いかに子供の心をつかむ授業が出来るか、その日の課題に集中して45分と言う短い時間の中で、高い目標まで到達する事が出来るんですね。
いい授業って、ちょっと見ただけでもクラスの雰囲気で分かるものなんだと初めて知りました。
もうひとつ、印象的だったのが、6年生が国語の授業で取り組んでいた「学級討論会を開こう」です。
「友達をニックネームで呼んでもいいか」をテーマに肯定派と否定派に分かれて各代表の一人が討論を深めます。
自分で調べ組み立ててきた根拠に基づき、いかに自分の言い分が相手の意見よりも勝っているかを主張します。
そのほかの生徒たちは、二人の意見を聞いて、どちらの意見の方が説得力があり、自分も賛成できるかを最後に判断します。
イギリス人の夫がいつも言っているのは、「日本人は討論が下手だ」「自分と違う意見を受け入れる事も出来ない」
イギリスでは、毎晩のようにパブに行き、一杯飲みながら色々な話題について議論を楽しむのだそうです。
“楽しむ”と言うところが、日本とは「ちょっと違うな」と、思います。
「日本人は・・」と言ってしますと語弊があるでしょうね。議論を好む方もいらっしゃいますので・・
ただ、私がいままで生きてきての感想は、多くの日本人が議論を好まないと言う事。意見が異なると感情的になって喧嘩になってしまいやすいと言う事です。
自分の考えている事を理論立てて、相手にわかりやすいように話すって結構大変です。自分の頭の中で、きちんと整理されていないと出来ません。
イギリス人は、熱い討論の後に「今日の議論はいい議論だったね」と言って分かれるのだそうです。
討論をする機会を子供のうちからたくさん与えておくって大切なことなのかも知れません。
日本でも、ディベートが学校の中の教育にも取り入れられるようになってきたようです。
先日「幸のページ」で幸が書いていたものと同じような内容のディベートの、学校での取り組みを紹介しているテレビ番組を見た事があります。
その時の設定も飛行場の建設についてだと記憶していますが、確か実際にその地域で起こっている問題についてのディベートだったと思います。
自分の考えている事を、文章にしてみると「こんなもんか・・・」と思います。
それと同じように、普段考えている事を人に伝えようとした時に「違う!そんな事を言おうしているんじゃない」と思う事も多くあります。
日本の○×方式のテストにも夫は常に疑問を投げかけていますが、本当に日本の教育には『書く』事と『議論する』事が欠けているようです。
さて、落会小のディペートのほうは、どんな結果になったのか、残念ながら聞き逃してしまいました。
どちらがより多くの人を説得力のある意見で納得させる事が出来たのか・・・?
でも、それより大切なのは、その討論の過程ですね。