2004年06月09日

本当の教育って・・・?

次女の幸が、留学先のインドから夏休みで、富士見に帰って来ています。
高校2年生の途中まで下諏訪向陽高校にに通い、その7月から姉と同じインドのインターナショナル・スクールに高校の3年間を留学しています。幸の同級生はみんな大学1年生か就職の年です。

彼女の話を聞いていると、日本の学校では決して経験できなかったような体験をたくさんしてきています。
今回、帰ってきた彼女がしみじみと言うのです。
「我が家って、本当に幸運だよね。家族の中で、大きな病気になったり死んだ人もいないし・・・。家族みんなが健康で暮らしてるもんね!」
きっと、母親の私が思いもしないような世界をたくさん見ているのでしょう・・・。
家族が健康で暮らしていることを、「本当に幸せ」と思える次女を誇らしく思いました。
彼女の話を聞いていると「本当の教育ってこう言うことじゃないのかな?」と、思います。
親ばかで恐縮ですが、幸の夏休みの間に、彼女の体験談をいくつか書いてもらい、紹介したいと思います。

文化や生活習慣が違えば、それに伴ってものの捉え方や考え方までもすっかり変わってしまいます。
そしてそれが、子供の教育にも色濃く反映されています。
彼女の留学先の、コダイカナル・インタータショナル・スクール(Kodaikanal International School- KIS)は、インドの南の端、標高二千メートルを越す山の上にあります。
(インドとは言え、冬は寒くてセーターが必要です。)

そこでの教育は、日本のものとは大きく違います。
幸の話を聞いていると、驚かされることばかりです。

たとえば、昨日の夕飯の準備をしながらの会話は「開発途上国について」でした。
 
娘たちが、インドに留学したのを機会に、冬休みを利用してここ3回、インド、タイ・ラオス、インドネシアと、家族旅行をしています。
その旅行で私が一番強く感じているのは、どこに行ってもビニールやプラスチックのごみが至る所で放置されている事。本当に心が痛みます。
恐らく、すべてが自然の物から作り出されている時は、ごみを放置しておいても動物の餌になったり、分解され自然に帰っていったのでしょう。
でも、人が作り出した科学物質は、餌になる事も、分解される事も無く、果てしなく増えていきます。そしてそうして出されたゴミをきちんと処理するための教育もなされないまま、それこそ、町のあちこちでゴミが山と化して行くのです。

たとえば、本当に美しいインドの運河を船で上っている時の事。
観光に来るのは当然裕福で、教養もあると思われるインドの人たちです。
彼らはプラスチックのコップでお茶を飲み、平気でその運河に投げ捨てます。
その美しい運河を見に来てながら、何の意識も無くそこにゴミを捨てるのです。
思わず夫は「何でそんな事をするんですか!あなたたちの美しいこの国を、どうしてそうやって汚すんですか?!」と、言わずにはいられなかったようです。
でも、言われた本人たちは、恐らく何を云わんとしているのかは、心に響かなかったようです・・・
次男が捨てられたコップを必死で拾うとしましたが、まったく無関心でした。
011229b_38s.jpg

そしてインドネシアの美しい浜辺でも、近所のおばあさんはビニールに入ったゴミを当たり前のように海へと投げ捨てます。

こんな事は、中東でも同じで、よく海外に出張する義理の兄によると、砂漠の中にビニールのゴミが散乱しているのだそうです。
と、言うことは世界中の「発展途上国」といわれる国々で同じ事が起こっていると言う事ではないでしょうか?

そんな現実を目の当たりにすると、開発途上の国々に文化が入り込んでいく事の「負」の部分を強く感じます。
そして、それらの国々が本当に「開発途上」なのか?と言う事さえ疑問に思えるのです。
「途上」と言う事は、「開発されるべき」だと言う事で、その事をそこに住む人々が望んでいるんでしょうか?
と、私の疑問を娘に話してみたわけです。

「私、それ学校で勉強した!発展(development)って言うのは、健康、教育、文化、経済、環境、交通などなど、それぞれの分野で、人々の生活のレベルが上達する事。開発されるべき、って本人たちが思ってるわけじゃなくて、自然に周りの影響を受けている事もあると思う。
これは全部私の地理学(geography)の授業で勉強したことなんだけど、こう言う場合、発展させる項目の順番が狂っていたり、計画不足だとそうなるんだよ。
たとえば、経済ばかりが発展して、そのお陰で交通機関が充実して、観光で儲けたりしても、環境汚染がどんどん進んだりする。
特に、インドは、観光が進んだ所で文化が衰えた所もある。欧米化が進んでね。
ママがこう言うすばらしい古い文化が残っている所に、近代文化が入り込むのが嫌なのも分かるけど、ただ文化が入り込む事が悪いんじゃなくって、発展するために必要な知識や準備がまだ無いまま進んでいくと、戻って直したり改正するのが大変になる、って事なんだとおもう。それに今の時代、自分たちの意思で、どれだけその国を発展させるのか、それとも伝統を守るのかって意思表示するのも重要になってくると思う。なにしろ1度観光地になってしまうと、来るな!なんて言えないしね。
特に伝統的な文化を取り戻すのは大変。それでも、近代文化が入ってきたって、古い文化がちゃんと残ってる所だってあるし、それはちゃんと自分たちの文化の偉大さを知る教育があったり、自覚があったからだと思う。」

なるほど!
深く考えた事はなかったのですが、言われてみるとその通り。
文化が入る事を今の世の中で否定する事は出来ないし、その順番や準備が大切だと言う事ですね。
それを次女はきちんと「知識」として勉強しているんだと思うのです。
このつづきは次女にバトンタッチです。

******************************************
(ここからはエンジェル幸の文章)

そういう所の人たちは貧しいから、自分たちの今のことで精一杯で将来の事なんて考えてられないし、教育のレベルも低いから、自然の大切さとか、環境保護がどれだけ大切か分かっていない事が多いのです。
経済の発展が遅れててお金もないと、教育のレベルももちろん落ちる。それに、発展するにあたっての計画も大事です。
そういう国のためにworld bankなどの、発展するためのお金を貸す組織があって、(SAPと言う、貸すにあたってのルールに沿って貸しているのですが)、たとえばそのお金を使うのに、今何が一番必要かを、いろいろ検査して調べたりします。そういう計画がきちんとなされないと、いざ発展計画をはじめてからも、順番が間違ったり、バランスが取れないとか言うことになって、失敗に終わるか、あまり成果が無かったりするのです。

ゴミの問題はよくインドでも取り上げられますが、手遅れと言う人も少なくありません。
なにしろ、インドは最近すごい欧米化が大都市で進んでいて、そう言う所では、金持ちと、多数を占めるスラム暮らしの貧乏な人達との貧富の差がかなり激しいのです。
そう言う人たちの差は天と地で、お互いが分かり合って何かするのはすごく難しい事だし、金持ちで教養はあっても、道徳教育と言うものを理解していなかったり、環境なんか気にしないと、自己中心的に考えて将来の事を無視したりしています。
今からみんなでゴミ拾いするなんて、あの国では不可能だと思います。
私たちの学校で町のゴミ拾い(コダイカナルのプラスチック袋問題)とかをするのですが、拾っても拾っても終わりが無い。
だって、私たちが拾ってるのを見て、それを見物しながら目の前でゴミ捨てるんですから。
もうこの国では、この常識を理解してもらえる見込みがないと思います。
それでも私たちがそれを続けているのは、たった1人でも、私たちを見てる人たちが、
「ああ、自分たちの捨てたゴミを拾ってくれるやつがいるんだから、捨ててもいいや。」ではなくて、
「こうやって自分たちのために努力してくれてるやつらがいるのだから、もう捨てるのは止めよう。」と思ってくれればいいと、それだけのためにやっているのです。

040210 030s.jpg
ああ、疲れた!コダイカナルに上がっていく道でのゴミ拾い。韓国籍の友人デビー(右)と。

031115_S_soex_043.jpg
ボートに乗って、コダイカナル観光の中心の湖のごみ拾い。


とくに、ゴミを捨てるのは大人。その大人を見て子供も真似をします。

「あなたたちの国は、とてもすばらしい国で、汚すのにもったいないんだよ。たったゴミをゴミ箱に捨てるぐらいの努力で、あなたの子供たちに、1つでも多い、この国のいい事を残せるんだよ。」と。
そして、一人でも多い子供たちに分かって貰いたいと思います。
自分でも、結構いい勉強をさせてもらってるなぁと思います。(笑)

インドでの生活では、いろんな世界が見えてきます。

貼り主: chiyoko 日時: 2004年06月09日 11:42
コメント
よかったらコメントを貼って下さい









上記の情報を記憶させますか?