2003年08月22日

「愛国心」って一体なんでしょうか?

先日8月13日の朝日新聞に「教育基本法改正」についての記事がありました。
「全国264の市町村議会で改正に反対したり慎重な対応を求めたりする意見書が可決されている」と言う内容でした。

実は富士見町でも6月の議会に「教育基本法の改正ではなく、その理念の実現を求める意見書の採択を求める陳情書」(うーーーん!長い!)が提出され審議,可決されました。( 教育基本法の改定ではなく、その理念の実現を求める意見書

 なるほど、調べてみると現在の「教育基本法」は昭和22年、戦後まもなくGHQの管理下で策定された随分歴史の古いものなのですね。
はずかしながら私もはじめて読んでみました。
「・・・教育上男女の共学は、認められなければならない」なんてちょっと言い回しが古いかな?と感じるとことは確かにあります。
ただ、今議論になっているように「国を愛する心」「公共の精神」「宗教教育」
なんで改めて盛り込む必要があるのかは、私も疑問に思います。

 もう、十年も前に「ゲルニカ事件」という本を読みました。
その本の印象は今でも強烈に残っています。
 ある小学校の荒れた5年を担任した教師が、奮闘しながら子供たちと信頼関係を築き上げていくと言う話です。
6年生になった時、子供たちは「ゲルニカ」に込められたピカソの想いを勉強したりして、心を込めてみんなで「ゲルニカ」の旗を書き上げます。
子供たちはその旗を卒業式の一番いい場所 《ステージの正面》 に飾る事を強く望んでいました。
しかし、式の当日その場所には子供たちの旗ではなく「日の丸」が掲げられています。
その事に怒りを覚えたある生徒が、国歌斉唱の時に「歌えません」と座っています。そして卒業式の華ともいえる決意表明で次のように発言するのです。
「私はゲルニカをステージに張ってくれなかった事について深く怒り、そして、屈辱を感じています。・・・ゲルニカには、平和への願いや私たちの人生への希望をたくしていたのに、張ってくださいませんでした。」
発言を妨げる来賓の野次の中でその子は最後まで発言を続けます。
「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」
その事件のためにその教師は教育委員会より処分を受け、裁判へとつながって行くのです。

 私はこの富士見町を愛しているように日本と言うこの国にも愛情を持っていると思います。
でも、それは「この国を愛せよ」と教えられたからではなく、この国で生まれ、育っていく過程で自然に生まれてきた感情です。
愛情は教えられて生まれるものでしょうか・・・?
しかも、教師は生徒の「愛国心」を評価する事も求められているようです。
どのように評価するのでしょうか?
「愛国心」のない子は「非国民」という事にでもなるのでしょうか?
「愛国心」なんかどうでもいい、なんて思ってはいません。
でも、強く押し付けられればされるほど、反発したくなるのが人情というものではないでしょうか。
愛国心の評価なんか不可能だと、評価欄にすべての生徒に対して同じ数字を書く教師がいると耳にしますが、当然な事だと思います。

 日本の国歌「君が代」もとても好きです。でも、「私は歌いたくない」と言った沖縄の人たちの気持ちを思うと「君が代斉唱」と言われても立てない時があります。

外国人の主人を持っていると私が「当然」と思っていることに疑問を投げかけられる事がたくさんあります。
その一つ。長女が小学生の時、担任の先生が「宿題を一人でもやってこなかったらクラス全員の責任」と言った事があります。それを聞いて主人はひどく怒りました。
私も子供のころ、よくそうやって「連帯責任」を取らされて育ちました。
だから、なんで主人が怒るのか分からなかったのです。
「なに言ってんだ!宿題をやるかやらないかは自分で考えて、やるべきと思ったらやれば良いことだろう。本当は自分の責任でやるべき事を他人の責任にしているのはとんでもない事で、責任感に基づいた行動じゃないよ。常に他人の目を気にし、他人の行動を監視すると言う、重圧と恐怖に基づいた行動しか生まれないさ。軍国主義の延長の考え方じゃないか。責任どころか、責任の放棄、無責任を教えているようなもんだ」
・・・なるほど。そうかもしれない・・・その通りじゃん!
そんなところに疑問を感じながらも、やはりこの日本が好きです。

日本人が当然の事と思って育って来た事も、外から見るとおかしなこともたくさんあるのかもしれません。それぞれ、違った文化や環境の中で育てば価値観や信念、主義主張が異なるのはあたりまえです。
それでもこの日本の歴史や文化を学び、育っていくうちに「国を愛する心」が育っていくんじゃないでしょうか?

・・・「ここが変だよ!日本人」を主人に言わせたら、とめどなく出てくるんじゃないかと思います。
それでも「愛国心教育」を受けたことのない主人も、例えばサッカーの日本代表がよその国のチームと戦う時、我が家で一番熱烈に声援しています。やっぱり、彼も日本が大好きだということでしょうね・・・

貼り主: chiyoko 日時: 2003年08月22日 14:23
コメント

私はゲルニカ事件が起こった小学校に通っていました。そのとき小学4年生で詳しいことを理解出来ないでいました。今になっても忘れられないのは、何故井上先生が出版した本を読まなかったのかという思いがずっとあったからです。今では廃盤となり、読むことが出来ません。もしお持ちの方は貸していただきたいと思います。

貼り主: NANA 日時: 2004年01月08日 12:18

 こんにちは。「ゲルニカ」でググってここに来ました。
 宿題についての私の考えですが、宿題でやってきたことを前提にその日の授業は進められます。なので、宿題をやってこなかった子の遅れた分を取り戻すのには、クラス全体の貴重な時間を使うことになります。その意味で、授業とは、学級の共同作業であり、学び合いであり、「連帯」しているのです。日本の学校は、教師対個人の教育の場ではなく、子ども同士の高めあいの場なのです。
 日本には日本の良さがあり、悪いところもありますが、さすがに、軍国主義だの、重圧だの、恐怖だのというのは言い過ぎかと思います。

貼り主: 日時: 2007年12月28日 01:52
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