4月から議員になるまで、養護学校の学童保育の指導員をしていました。
議員になると同時にそちらのほうは失職してしまったのですが、久しぶりに学童に行って、心の洗濯をしてきました。
「指導員」と言うとなんだか難しいのですが、ようは学校終了後、5時まで子供たちと思いっきり遊ぶのがお仕事です。当然,その前に子供たちの安全の確保が第一条件ではありますが・・・
以前,聴覚障害者を中心に障害を持った方とパンやケーキ、リサイクルのお店を立ち上げて一緒に運営したりもしてきました。
そんな付き合いの中で一番感じたのは「この人たちと一緒に育ってこれたらよかったのに・・・」と言う事です。
「自分自身の気持ちの中に決して差別意識なんかない」
「私たちがお手伝いするのではなく、障害者も健常者も関係なく共に歩んで行きたい」そう信じ、願って活動していました。
でも5年も6年も経って、「やっぱり違ったのかな?」と感じたことがありました。
わたしの気持ちの中にはいつも「出来ないところをホローしなくっちゃ」という気持ちがあったと思うのです。
勿論人間、足りないところを補いながら支えあって生きていくものですが、それがやはり「障害ゆえに」っだったと気がつきました。
もし私たちが、その障害を認識する事もない、幼い子供の時から一緒に育っていたらどうだったんだろう?
本当に怒ったり喜んだりする中で、「支えあって生きる」事を学べたのではないでしょうか。
私も変っていたし、障害を持った皆さんも違っていたはずです。
そんな事を考え始めてから 「障害を持った子供たちと関わりたい」と、強く願うようになりました。だから学童保育のお話を頂いた時は、正に“飛びついた”のです。
本当にいろんなお子さんがいらっしゃいます。でも、彼らにはごまかしや嘘 はなく、私も彼らと向き合っている時は何もかも忘れて、一生懸命に遊んでいます。
学童保育をやっていて一番初めに感じたのは「ああ、この子達を理解し愛してくれる場所が又一つ増えてよかったな」ということです。
指導員も20代から50代まで年齢も職業もさまざまです。
関わり方もそれぞれで、思いっきり体をつかって遊ぶ人もいれば、子供が望めばただただずっと抱きしめている人もいます。
指導員の仕事は子供たちが安全に楽しく過ごす事で、そこに「教育」だとか「躾」が強く関わってこないところがいいのかもしれません。
近所のおじさんやおばさんであったり、おばあちゃんであったり、あこがれのお姉ちゃんであったり、そんな関係がお互いにとっていいんじゃないでしょうか。
家を出る時は何かで悩んでいて本当に暗い気分で出かけても、学童から帰る時に車の中で自分が鼻歌なんか歌っているのに気づいてびっくりする時もあります。
私にとってはそれだけ無心になれるところだということなのでしょう。
そういう時間を持つ事が出来る事に感謝しています。
何についても言えることですが、知らずにすごしてしまって損をしてる事って多いんだろうな。
貼り主: chiyoko 日時: 2003年08月17日 14:22突然で申し訳ありません。
会社で諏訪養護学校の生徒の現場実習の担当をさせて頂きました。大変素直で根気強い、素晴らしい生徒さんでした。
ただ、会社側と私の最終意見に食い違いがでてしまい…
現在彼の評価表を書いていますが困っています。
もしお時間がありましたら、聞いて頂きたく思います。
突然のメール申し訳ありませんが宜しくお願いいたします。